*水地比 / Holding Together


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8.水地比

新規または同僚の中から、親しく付き合えるような友人や仲間が現われやすい時です。年齢が比較的近かったり、持っている資格や能力が同じような感じだったり、辿ってきた境遇が似ていたりして打ち解け合える、そんな雰囲気が比にはあります。堅苦しくない柔らな対応が和みをもたらします。もっとも、九五にはびこる陰という構図でもあるので、異性関係には注意が必要かもしれません。

ところで、師でも書いたように比は屯から続く坎(水)のトンネルの最後に当たります。ここを過ぎれば乾(天)の道になって視界が開けます。もっとも、乾の道の先発隊である小畜や履は序幕なので、まだまだ自分の好きなようにできないもどかしさはありますが、それでもベースとしての運は小畜から陰陽が切り替わっていると思います。

この比は五行理論でいう比和のような意味で、親しむとか助け合うことがテーマです。身近な存在として共感したり、共同で何かをするという事例が多い気がします。師とは対関係(綜卦)で主客が転倒しているので、戦うのなんて真っ平ごめん、仲良くマッタリいきましょう的な感じです。だから、悪くすると馴れ合いとか傷の舐め合いにもなりがちですが、基本的に平和主義といった雰囲気があります。需の場合は一人でノンビリすることも多いですが、比は二人以上の関係性なので普通はパートナー(友達・恋人・仲間など)がいます。それから、共同研究とか共同事業というような集団対集団という構図も比に相当する意味合いです。ユニオンということですね。あとは、観客全体とか市民の声みたいな師卦に対する客の立場で取り巻きとなることもあります。

もう少し分析していきましょう。比の陰陽をひっくり返すと大有(火天大有)、比と類似関係にあるのは解(雷水解)です。まず大有との関係ですが、比も大有も対象となる集団(人や物をひっくるめて)が身近にあるという点で共通しています。どちらも師や同人に比べると消極的で内に籠もる性質があるのですが、そのぶん何かを溜め込んだり、知的方面での活動には適性があります。知的活動に関しては、観(風地観)や艮(艮為山)のような事象を静観して洞察する資質も大切ですが、そもそものデータ数(人・出来事・物事)が乏しくては信憑性に欠けてしまいます。友達・客・共同事業者などからの情報提供があると多岐にわたるデータが収集できますし、資金が十分にあれば目的に必要なモノを買い揃えやすくなります。なお、卦の性質的には、どちらもインターネットの仕組みに適合しやすいかもしれません。

次いで、比と解について考えると、これらは親しむ、打ち解けあう、という意味で共通項があります。雷水解は春の雪解けというイメージが与えられているので、和解とか問題の解決という意味もあります。解は蹇との主客関係なので、障害(断崖絶壁という例がよく用いられる)があって前に進めない状態が解消(救出)されたという状況になっています。どこか「白馬の王子様」的な感じです。比も師において共に戦った仲間達とプライベートでも付き合うようになった情景と考えるとわかりやすいです。何か大変な仕事とかヤバイ状況を一緒に乗り越えた体験が、その後の親密な関係を作り出すという構図。そうした私的な繋がりを持つことによって絆が深くなってゆく。師が仕事(学生なら勉強)での競争とすれば、比は家庭(プライベート)での安らぎと言えるかも知れません。

続き絵で読むと、訟で自我が芽生えたことで対立構造が生まれ、師で他者と激突、より力の強い方が勝者となるわけですが、そこで配下となったのが比とも取れます。日本で言うと守護大名や外様大名(関ヶ原の戦いの前から徳川家の家臣だった譜代大名に対し、戦いの前後に家臣になった者達)のようなものかもしれません。ただ、比では主従とか取り巻き、または「昨日の敵は今日の味方」的な友情という立場ですが、次の小畜になると上下関係における権力闘争が見えてきます。いわゆる下克上のような身内での揉め事とか、取り巻き同士での干渉といったことです。同系列の人達がひしめき合うことで逆に物事が滞ってしまう状態が発生してしまうわけです。小畜については次回に詳説します。


◆初六

互助互恵を基本とするのが比ですから、まずは味方となる人達との信頼関係を築くことが第一です。これがなくては親睦も和合もありません。比の初六は、何らかの事業の発起人とかキーパーソンのような感じになりやすいです。師との関連で言えば、オリンピックの開催国や国連の議長国のような立場です。オリンピックは各国間の戦争抑止のために闘技(戦争・命のやり取り・果し合い)を競技(スポーツ)化したものだとも云われますが、荒々しさを昇華することで逆に友好を深める手段に変えたわけです。競技には各国の代表選手が出場し、観客を交えながら試合や演技が行われます。この初六は、自分が頑張ることで大勢の人に感動を与えられることを実感しやすい時です。自分の姿勢を見ては、他の人が感嘆したり落胆したりと一喜一憂します。仮にそこで失敗して良い結果を残せなかったとしても、精一杯やったことが伝われば温かく受け入れられるはずです。ただ、注目を集めやすい時期なので悪い事をすればすぐに露見して批判されます。自他共にレスポンスが上がっているため、行動に対する自制も抑制も強まる傾向があります。体裁を守るために監視・警戒する、または人々が危機に陥らないように保護するという状況になりやすく、しばしば過剰になりがちです。

◆六二

初六では、目的遂行のために献身的に働いたり、時には自ら担保になる(何らかの犠牲もやむなし)という精神さえありました。それに足るだけの意義を仕事に見出していたためですが、必ずしも誰もが趣旨に賛同できるわけではないし、自粛を求められるような環境に馴染めるとも限りません。この六二は、社会的不満や不適合感を抱えた人が紆余曲折を経た末にやっとフィットする環境を見つけ出し、そこで自分の力を奉仕的に使うことに喜びを見出している内容です。しかしそこに至るまでの過程は生半可なものではありません。庇護者に甘えながらズル賢く生きてきた人が、とうとう相手の堪忍袋の緒を切ってしまうような失態を晒して追い出されたり、なかなか一つの職が続かずに苦労していたり。中には最後の頼みの綱とでもいうべき人の下に、ほとんど身一つで飛び込んだ人もいるでしょう。そこでも最初はこれまでの悪い癖が抜けずに呆れられがちですが、自分に残された場所はここしかないと自覚すると心を入れ替えます。意識が変わると現象も変化するので、やがて自分の持ち味を活かせる何かを見つけるでしょう。そこで初めて皆の役に立てたという充実感が生まれ、精神の暗い夜が明けます。そして改めて、この場で大切な人達と共に生きてゆきたいという意志が強まります。

◆六三

下卦坤の最上部で艮に変わります。正を得ておらず上六とも不応、しかも親しむべき身近な二・四とも陰同士で助けになりません。六三自身、他者に対する不信感を抱きやすいため、結果的に単独で行動することが多くなるでしょう。どこかの組織や団体に属したり、パートナーを組んだりすることも敬遠しがちです。仮に会社に所属したり仲間に加わったりするにしても、まだ自前のシェルターが機能しているので、本心から溶け込むのは難しいかもしれません。そのため、何らかの社会経験を積んだり生活費を稼ぐ必要性から本来の才能とは異なる分野で働くことになっても、頭の片隅では常に別のことが気に掛かってしまい、結局長続きしないことが多いでしょう。ただ、いかに個人の能力が優秀であっても窮地に陥ることはあるし、誰かの助けがなくては乗り切れない事態に遭遇することもあります。三爻変は元来、向こう見ずな気質を持っているので、どうしても危険を顧みずに突き進んで失敗しやすいのです。もっともそれは自身の方向性を定めようとする模索なので致し方ない面もありますが。ここでも友人や仲間の援助を待たずに一人で何とかしようとして失敗する傾向があります。おそらく唯一とも言える救いは身内、もしくは日常的に接する機会の多い人です。

◆六四

陰位陰爻で正位ですが初六とは応じていません。この場合、応爻との関係よりも剛健中正の九五を承っている身としての働き(後方支援)が重視されます。四爻変になって下卦坤から上卦坎への境界を越えたところですが、まだ心配(懼れ)の多い時です。ただ、坎の最下部が変爻すると兌(沢)なので、概要としては「九五に従えば吉」(自分の大切なものに尽くせば喜びを得る)という内容です。主に家庭や血縁、友人仲間などとの共生がテーマで、相手に尽くす、それも犠牲的・奉仕的な精神で自分を捧げる傾向があります。でもそれは、自分のしていることに実用性があるか分からないという無力感や不安を拭おうとする心理が背景にあるので、現実には一心になるあまり、妨害してくる相手と共倒れになったり、何かに憑依されたかのように人が変わってしまうことにもなりかねません。ことに自分の適性の活かし方が見つけられない間は、不如意な結果になったり、単に周囲と馴れ合っているだけの生産性のない生活になってしまうおそれがあります。九五に示される対象(人とは限らない。今取り組んでいること等も含まれる)にどれだけ信念を持っているかが問われる時期だと思います。なお、未知の予感とか夢が行動の鍵になることがあります。注意深く解読してみましょう。

◇九五

中正を得た成卦主の九五は、六四で集った人々を従えて何か大掛かりな事をしようとしています。爻辞では王が勢子を三方に配備して狩りをする場景が描かれていますが、そうした歴史的事実の有無に関わらず、一つの比喩(象徴)と考えた方がいいです。特に多様化した社会では、どの爻辞の内容も字面通りに受け取ることは難しいと思います。まあ、爻辞に即した内容では「自由のないところに真の友情はあり得ない。友情は自由な空気を愛する。狭い窮屈なところへ押し込められるのは真っ平である。」(ウィリアム・ペン)という感じでしょうか。この九五は、親睦会的な一大イベントを実施することで、普段の生活の中では知り合えなかったり、あまり結びつきのない人々も交えて心を一つにするという趣旨があるように思います。多少、羽目を外す状況になるかもしれませんが、その方が緊張がほぐされて和気藹々と楽しめるでしょう。例えばアニメ映画を作る際に、イメージを構築するために大勢のスタッフを引き連れて海外の町並みや風景を見に行くことがあるそうですが、意味的には近いと思います。旅行やロケ自体は非日常の出来事ですが、実際には日常業務の発展に寄与することになるし、チームのモチベーションを盛り上げるのにも一役買ってくれるはずです。

◆上六

上卦坎の最上部で変爻すると巽(風)。巽は僕的にフリーランスの卦です。つまり、どこにも所属せずに自由に渡り歩きながら生きる人。出生時の時間易で上卦が巽の人は基本的にそうした性質を持っています。時にはフリーターにもなるし、自分の世界に引きこもったり、放浪するだけのフラフラした時期を過ごす場合もあります。ただ、それら全てが巽としての対外的な性質なので、どの状態が良いとか悪いとかを決め付ける意味はありません。何であれ経験する機会があれば、それはそれで吸収して自らの血肉に変えてしまった方が得策です。下手に否定して遠ざけていると、いざ嫌悪する状態に陥った場合に非常に困惑するし、深い絶望感を味わうことにもなりかねないからです。さて、この上六は既に比の終焉を迎えつつあり、次の小畜を意識している頃ですので、自分でも和睦を求める時期を外れていると分かっています。実は今やるべきことはハッキリしていて、範囲を絞って掘り下げていく力があります。ただ、自分の目標を追うあまり、周囲を出し抜いて批判されたり他者の権利を侵害しやすいので、何らかのトラブルを招く危険性も高いです。もし過失を指摘されたら、意固地にならずに素直に反省して清算しましょう。人は離れていきますが、いずれやり直せます。

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◎インターバル 〜「坎のトンネル」を抜け、「乾の道」へ〜

これまで屯から比にかけて坎の影響を受け続けてきましたが、今度は小畜から大有まで乾の影響下に入ります。つまり、外卦(上卦)もしくは内卦(下卦)のいずれかに乾(天)が絡んでくる卦が続きます。外卦では字のごとく対外的な影響を、内卦では自身を含めた私的な範囲での影響を意味しています。

乾は三陽として、十分なエネルギーを象徴する卦です。逆に言えば、十分でないエネルギーでは乾としての用を成さないので、足りなければ充電する必要があるし、もし鬱積していれば放出の場を与えてやらねばなりません。仮に未成熟のまま使用すると刹那的な一発屋(震)に、力を発揮する場を見出せなければ漏電して宝の持ち腐れ(坎)に、そして、意固地になって出し惜しみすれば周りから堅物(艮)と敬遠されてしまいます。太陽のような燦々とした広大な精神が求められてきます。

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