7.地水師
乾坤という父母から生まれてきた子供は、屯・蒙・需・訟・師・比と、常に上下卦のどちらかに坎(水)との関わりをもっています。このことは、それらの卦の時間軸における幼さゆえの脆弱性が反映されているためか、あるいは血筋・ルーツとしての意味合いが働いているためか、何にしても坎が一つの共通項であることは確かだと思います。
それに次ぐ小畜・履・泰・否・同人・大有では上下卦のどちらかに乾(天)があり、才能(潜在エネルギー)をどのように扱うか、ということがテーマになっているようです。これ以降は、その2グループほど長く連なる箇所はなく比較的ばらけています。あっても晋〜[目癸]の4卦に離(火)が連続する程度です。64卦を4分割すると16卦ずつ、あるいは乾坤坎離を除いた屯から未済の60卦を4分割すると屯〜随、蠱〜大壮、晋〜革、鼎〜未済となりますが、だいたい上経(乾〜離)の前半部くらいまでで、大枠的に自分としての方向性が見えてくる、ということなのかもしれません。それで、その後は多様性を活かして「自己責任で好きな生き方をしてごらん」みたいな感じなのかな、なんて思ったりします。
それはそうと、この師は連続する坎(水)の影響を引きずっている最中ですので、未だ人生の初期段階としての暗いトンネル(危さ・不安・恐さ・荒々しさ)を抜けきっていません。それを抜けるのは次の比を通過する時でしょう。しかし両卦が対関係であることを考えれば、原理的には既にトンネルの先の光(小畜以降の連続する乾(天))が見え始めている頃であろうとは思います。
要約すると、なんとか動き出したが曇りガラスのような先行き不透明な屯・蒙期に始まり、見通しが立ってきて体力を付けつつも互いにぶつかり合うような需・訟期を経過し、この師になって集団としての形成力を獲得しようとしています。そして次の比にて親和を学び、グループとしてのまとまりを持つようになると、空間に疎密(過疎地帯と過密地帯)が生まれてきます。つまり、個々が点でバラバラに散在していたことで生じていたモザイク感は拭われ、ついで自制心によって外部に対する自己主張も程ほどに収まると、一群としての集団(師団)が各所に見られるようになっていく、という流れです。これは市や県、州、国が形成されていくイメージで考えると分かりやすいかもしれません。
師はオーケストラのように優秀な指揮者がいると統制が取れやすい卦です。必ずしもカリスマ的存在である必要はありませんが、リーダーとしての資質を持つ人物がいることは肝要です。ある特定の目標に向かって全体がまとまりやすくなり、グループや集団(規模は特に問わない。何十人とか何百人という場合もあるし、班(5〜6人)程度の場合もある)としての結束感が生まれてきます。また、オーケストラでいうソロ・パートのように、仮に一人ひとりがスタンドプレーで動いていても、それが結果的にチームワークとして成り立っていれば連帯感は保てます。
師は立ち位置が反転すると比、陰陽が反転すると同人、シンメトリー的な類似関係は蹇です。師が好戦の卦であるのに対し比は親和の卦で意味が反転、それから師も同人も目的のために人が集まるという点で共通し、そして師と蹇では共にアクションとその衝撃(作用すれば必ず反作用)があるという点で類似しています。こうした考察も易理の解釈に役立ちます。
◆初六
師の初め、つまり集団としてまとまるには、そこに何かしらの目的や意義があります。逆に言えば、志を同じくするものが何もないのに人が寄り集まってきても役には立ちません。それは単なる烏合の衆であって師の目的にはそわないからです。この初六では、まず集団活動に必要なスローガンを打ち立てます。「何々が私達の目標です」とか「こういう趣旨・方針の下に活動しています」というような一種の対外的な大義です。これがあることで、そこに所属する人々の気持ちが焦点化されて集団としての活動を推し進めていくことが可能になります。また、そのための社内規則や統制システムの遵守を求める等、多少の厳しさも出てきやすいでしょう。ただ、蒙でもそうでしたが、厳しくし過ぎればどこかで窮屈凌ぎに遊びを求める人が飛び出てきたりするので、やり過ぎないようにしましょう。また、どんな活動でもおそらく完璧とか最高というのはないでしょうから、掲げたスローガンに身も心も捧げてしまう危険性も把握しておいたほうがいいと思います。その時は理想的な趣旨に思えても、いつかそれが絶対ではないことが分かると心身ともに相当のショックを受けます。どこかで自分を客観視しながら、できるだけ自分の理想に近い生き方に奉仕できると喜びを感じるでしょう。
◇九二
前段階で皆の心を一つにするようなキャッチフレーズとかスローガン的なものを掲げたり、また自分にも厳しくするなど、意外と窮屈なことをしてきました。もちろん、それは集団形成の初期段階では必要なことなので端折ることはできないのですが、何事も潔癖過ぎると後が疲れます。また、それらは一種の机上の空論的なものだったりするので、正直なところリアリティに欠ける面も見えたりします。この九二は、そうした理想と現実の隔壁に激しくぶつかることで必要ならば軌道修正する、取り組み直す、不安材料を潰すという姿勢を示します。師は類似関係の蹇と並んで結構、挫折体験の多いシビアな卦なのですが、この九二でも自分の確信を揺るがすような対抗勢力に遭って苦労しがちです。相当に踏ん張らないと立ち直れないこともあるかもしれません。しかし、この経験によって自分の意志を根底から見つめ返すことができるので、より一層強い力を得て信念を貫いていけるようになるでしょう。ただ本来、二爻変は陰が正位ですので、陽爻である九二は行き過ぎ感があります。せっかく称賛に値するようなド派手なことを成し遂げたというのに、自分の力を誇示して野蛮を働いたせいで非難を浴びた、という例もあります。でも、基本的に周囲を煽動・鼓舞できるスゴイ人です。
◆六三
何度も書いているように、三爻変は原理的に無謀さが目立つ部位です。簡単に言えば「ダメ元」的発想で突撃していくタイプです。できるかどうかわからない、でもやらないよりはやったほうが後悔しなくていい、というのが行動原理と言ってもいいかもしれません。もちろん、それが功を奏することもあるし、仮に失敗しても後々の経験に生かせばいい、という考えであることも多いでしょう。また時には、何かを確認するために撃沈覚悟で実験的に突き進まなければならない時もあるかもしれません。そしてこの爻は、そうした性質の代表選手です。とにかく捨て身で物事に取り組むという、怖いくらいの強烈な意志と実行力があります。目標とすることに対しての決意は相当なもので、傍目にもそれと分かるほどの集中力を発揮しますが、そのあまりのストイックさに周囲は理解するどころか、ちょっと引いてしまうかもしれません。思い込みも激しく言動もキツめです。この時期、大きな目的に全身でぶつかっていきますが、そもそもが準備不足だったり実力不足だったりで、結果的に反駁されて打ちのめされる傾向があります。自分の至らなさを痛感して挫折しやすいですが、落ち込みから回復できたら、また懲りずに目標を掴み取ろうと体当たりしていくことでしょう。
◆六四
多くの四爻変は三爻変での行き過ぎた積極性の反動として、総論的に消極化に向かう傾向があります。この師の六四でも六三での無謀さの衝撃波で心身ともに撃沈されています。精神論で脚色してまでこだわってきたことに疲労感を感じている状態でもあります。信じきっていた宗教とか入れ込んでいた恋人とか仕事とか対象は様々ですが、そうしたものに対する自分の信念が融解していきます。どんなに崇高な理想を掲げていても、気難しい関係が続いたり、職務への忠誠や目標に対する高い奉仕性を要求され続けると、その内に息苦しさを覚えるものです。今はそれらの対象から距離を置こうとして雲隠れする状況になりやすいです。嘘をつくまでのことをするかどうかは本人の良心によりますが、少なくとも何らかの言い訳か逃げ口上は欲しい時でしょう。行動にも怪しさが出てきやすく、自分を詮索されないように煙に巻くような態度を取りがちです。心理的には仕事であれ特定の相手であれ、束縛するのもされるのも嫌と考える節があります。必然、電話やメール等の連絡手段を遠ざけたいでしょう。今は「もう少し間接的な方法でやっていけないか」とか「現場仕事ではなく、もっと気楽なポジションに移れないか」と持ち掛けたい気分ですし、その方がいいはずだと思えるでしょう。
◆六五
前の六四で関わっていた対象から退却したことで、既に気持ちの中では区切りが付いています。初六のように我が身を省みないほど理念に惹かれていた自分が嘘のようです。今となっては、それは集団全体の勢いに飲み込まれていただけだと思えてきます。こうなると、もう以前の自分に戻ることはできないし、戻りたいとも思わないでしょう。むしろ、こうした影響力から離脱して、もっと自分の生き方について考えてみたいはずです。また、日々の仕事や役割に対してもステレオタイプで動いたり、組織のなすがままに動かされているような人を見ると嫌気を覚えるでしょう。特に人事を担当するポジションにいる場合、自分の意思や価値観が希薄そうな人とか、組織の理念を無駄にヨイショしている人を起用する気にはなれないかもしれません。だからといって、自分の心情に偏った判断をしないように心がけましょう。相手の適性や能力をよく把握すべきです。なお、この時期、新しい可能性を探るためにワークショップとか資格の講習、新機器導入に意識が向きやすいでしょうが、おそらく一点突破的な目標が見つかる率は低いです。ただ、それでも何らかの糸口を掴みたい心境ですし、こうした試みが上手くいけば、もっと自分の活動範囲を広げられるはずだという期待感を持っています。
◆上六
師の次の卦は比、つまり比和(親睦)がテーマですから、この上六ではその流れを感じ取りつつ、これまでの師の総括を行うような状況になります。六四で意識的に退いたり間接的に参与する方法を模索したり、六五では組織に依存することなく自分の足でやっていけるような可能性を探していたので、上六では、さすがにもう師卦に対する思い入れは薄くなっています。結果、意識的であれ無意識的であれ自分で自分の立場を危くするような失敗(有望だが経験の浅いか本筋から外れている人物を推して衝突する等、向こう見ずに可能性を試しての失策)を犯しやすいので気をつけましょう。仮に他動的と思えるようなケースだとしても、そこには自分の因果が反映されています。人物を見極める目を磨くべき時です。裏から手の回った者や独断的な判断ではなく、組織全体への利益を考慮した上で人選することを心がけて下さい。また、自分自身についても引き際を考える時期なので、有終の美を飾れるように最後まで気を引き締めましょう。中途半端な仕事をすると無念さが残りますし、経歴を大事にする人にとっては痛い傷となる懼れもあります。もし身を引く状況になくても、今携わっている役割を納得のゆくまで丁寧に片付ければ評価も得られやすいし、次のステップに繋がるでしょう。