既済は「すでに成る」の意味。物事の完成や成就を表わしています。易卦の流れでいくと、実質的な達成は風沢中孚です。事がそれぞれの特性に見合った状態におさまる、そのちょうど良いさじ加減が中孚。時々書いていますが、適度な塩分濃度の中に入れた卵が、浮きも沈みもせずに真ん中に留まっているようなものです。しかし、これが小過になると卵は割れ、あるいは雛が孵って育ち、やがて飛び立とうとします。もちろんいずれ巣立ちは訪れますが、小過の時ではまだ時期尚早の気があり、気持ちは分かるけれど逸ると過失を招くおそれがあるので止めに入ります。その後、この既済で現状に留まることと次のステージへ向かうこととの割合が同じになり、いよいよ選択の時を迎えます。
綜卦と裏卦は火水未済。既済では上卦の水は下降し、下卦の火は上昇して互いに相殺する格好になります。もっとも、相殺するといってもキレイさっぱり悩みがなくなるわけではなく、どちらとも決め難いとして葛藤する状態です。未済では水火の向きが相反するため、旧を選ぶか新を選ぶかハッキリしてきます。既済と未済は卦全体のエピローグに当たるので、どういう事柄であろうと収束に向かいます。それは仕事を完成させることだったり(終わらせるために始めるという事でもある)、長らく続いた人間関係との別れであったり、芸術のようにイメージを具体的な形にすることであったりします。ハッピーエンドもバッドエンドもありますが、それが何であれ、あるべき終焉へと向かい、それから新しい幕開けへと続いていきます。
両卦は立ち位置も陰陽も逆ですから、考察は比較的容易です。既済は「行きはよいよい、帰りは怖い。怖いながらも、とおりゃんせ」(これだと語弊があるかな…)で、前半は良くても後半になるほど未済に近づくので良くない、と一般に云われています。必然、未済は逆の概念になります。前半は苦労しても後半には整っていくという解釈。この辺り、地天泰・天地否と類友です。個人的な経験や調査からすると素直には同意できませんが(というのは爻によっても違うので)、「暗い時(坎)ではなく、明るい時(離)に事を済ませましょう」というのは理屈としては分かります。そういえば、真夜中に一生懸命になって書いた文章を朝になって読み返してみると大して面白くなかったりしますが、ああいった感じかもしれません。単純には「正常な思考ができない時に大事な判断をしないこと」とも取れます。
類似関係は天山遯。遯卦は離脱の意味。状況や関係から手を引く・束縛から逃げるか逃がす・保護するなどの理由で捕まえる・引退・隠遁(姿を消す)・退去・気分転換・現実逃避・大事なモノを守るために避難する、といった内容です。遯と既済は屯・晋から29番目で4巡目の2(2→11→20→29)。28の恒・小過で4巡目に入り、新しい目標を見つけた後、この29の2で可能性が分化します。その二つの選択肢の割合はイーブンか、心情的にはどちらかが少し勝っている状態にあるでしょう。中孚の所でも書いたように、9には融合することを本質としながらも、異なる内容に対して優劣をつけるという性質があります。個人的な感情や信念・家庭の事情・身の保全・誰かや何かのため等々、人によって理由は様々ですが、心の中では既にどうしたいか、あるいはどうすべきかは決着が付いている場合が多いだろうと思います。後は、それを実行に移すかどうか、という問題。そこで板ばさみになって悩んだり葛藤する傾向が見られます。
天山遯の場合は、形はどうあれ離脱するという方法によって場を切り抜けようとします。一方、既済では自分がいなくても回転する(問題なくなる)状態を作り出すか、特に周りから要求されなくなった時点で役割を終えた気分になり、自然消滅的にそこを去ろうとします。もっとも、それ以前の段階として、まだ片の付いていない事があれば整理するために多大な労力を払わなければなりません。それでも意識の上では、とりあえず今していることが終わったら(少なくとも自分の中では)ケジメが付くと思っているか、別の仕事なり生活をしようと考えている人が多いでしょう。なんにせよ、これまでしてきたことの総合的な後始末(自分の仕事に限らず、他人の尻拭いやしわ寄せも含めて)と、これからしていきたいことの予感に従って準備に取り掛かる時期であることは違いありません。
補完関係は水雷屯、その先のヴィジョンは山水蒙。屯は乾坤の子供(赤ちゃん)を象徴します。何らかの出来事・物事・人間関係などの初期状態を意味します。既済の前の小過では、小さな抜け穴に手を伸ばして外の情報を取り出す程度でしたが、既済になると「ここではない場所」「今ではない時間」に首を突っ込んでしまいます。パラレル・ワールドのような屯側から見れば、穴やドアから顔を覗かせている人が見えるわけです。子宮から頭だけ出てきた赤ちゃんみたいな状態。まだ生れ落ちて呼吸するには至ってませんが、それももう直ぐという段階です。体はまだ「今・ここ」に残されていますが、心はほとんど持って行かれて既に上の空になっているかもしれません。これが未済になる頃には、首どころか体も半分くらいは移行段階に入っていきます。ちょうど人魚のようなイメージ。または脱皮目前。
それはともかく、既済できちんとケリを付けるためには、原動力として次の自分への動機が必要です。しかし、「そうはいっても心配や不安の方が強いよ」ということならば、それはまだ現在の生活に遣り残しやわだかまりがあるということかもしれません。振り返ってみて、何か思い当たることがあれば早急に対処しておきましょう。過去からのしがらみや未解決の問題がある限り、どこへ行っても何をしても悩みの種であり続けます。自信と意欲を持って新規事を始めたり、自分らしい生き方に転換したければ、とにかく今までうやむやにしてきたことを明確にし、見ないふりをして解決を先送りにしてきた問題を直視する必要があります。そして、解決への目算を立てる。人間関係の因縁、何らかの社会的な束縛など人によって様々ですが、取り組める時間と余力のある内に解消に向けて動き出せば、きっと良い進展が得られることでしょう。
<爻意は後日、追加更新します。>