*雷山小過 / Preponderance of the Small


C.I.の保管庫(トップ)I-Ching 〜易経(周易)〜>雷山小過

62.雷山小過

小過は、少し過ぎると書くように、中庸とか世間的な許容範囲を外れてしまうことを意味する卦です。それまでこだわってきた事に対して再考を余儀なくされたり、ちょっと異端視されるような考え方をしたがために周りから除け者にされる、といったケースがあります。後で思い直してカムバックするにしても、一時的に今まで一緒に頑張ってきた仲間を裏切るようなことをしてしまったり、一人だけ別の主張をして浮いてしまったりします。また反対の現象として、他者が外卦震として短慮な行動をした時に、内卦艮の働きで止めに入る(カウンセリングなど)という出方をする時もあります。このように小過の時は、その人が属している社会の一般的な傾向からズレた行動をとりやすく、そのために周囲の人をも振り回してしまう性質をもっています。

この性質は、普段の生活に飽きを感じている人の冒険心をくすぐるので、「できることならば現状を脱して別の生き方をしてみたい」と思わせる魔力を秘めています。皆が日常を守って大人しく生きている中、自分ひとりだけ秘密の抜け穴を見つけてしまったようなものです。しかし小過の場合、まだ丸ごと飛び込める段階ではなく、単にこれまでとは異なる視座を手に入れただけです。ちょっと窓ごしに外の世界を覗いているに過ぎず、ムコウの世界に行くには怖さもあるし、今の生活を捨てる覚悟も準備も整ってはいないでしょう。それはもう少し先――水火既済・火水未済を過ぎ、新しい乾坤の混合によって生まれた次のサイクルに入ってからです。場合によっては、既済や未済の時に決別する時もありますが、完全に新しい流れに入ったことを実感できるのは屯蒙期以降になるでしょう。

裏卦は風沢中孚です。綜卦は厳密に言うと小過のままですが、対概念としての中孚を考えるとより理解が深まります。前回書いたように、中孚と小過は求心力と遠心力に似た概念です。その時々の状況における良心や願望の在り処が、真ん中すなわち現状の中にあると考えるか、ここではない別の環境にあると考えるかの違いです。例えばアジア人が欧米人の心を学ぶには、実際にアジアを出て欧米で暮らすのが一番でしょう。変に現状維持して他国の文化にかぶれてたりすれば、仲間内から変な顔をされるのがオチです。あるいは関西人でもないのに下手な関西弁を使いたがる人のようなものです。浮かれるなら浮かれるで、いっそのこと現場に飛び込むことを考えたほうが余計な気を使わなくて済みます。たとえそこで失敗したとしても、また立て直すことは可能です。ただし、外卦震に触発されるにしても勇気と無謀は違います。本当は生活苦なのに起死回生を狙って宝くじを買うような無茶なことをすれば、後悔が後を絶たなくなるでしょう。そこは内卦艮の卦徳である「止」の考えどころです。

類似関係は雷風恒。恒は結婚生活を意味する卦です。象徴的には人や物事との関係を継続するにはどうしたらよいか、という教訓を説いています。両卦は共に屯・晋から28番目で4巡目の1(1→10→19→28)です。階層が異なるのでそれぞれに意味のヴァリエーションがありますが、単数化すると10も19も28も全て1に還ります。1は新しい展開への動機や意志、その必要性を示す数字です。奇数(陽数)なので能動性を示しますが4巡目では内向します。そこから4巡目の1は、別の生活という可能性を垣間見る一方で、現状に対する保守性も同居します。28の内、20は相対的な多様性を示し、得ようと思えば大抵のものは得られるので、現状に支障が出るほどの不満は感じていませんでした。しかし、そこに8という異質な外力との掛け合いが生じたことで動揺してしまうのです。両卦とも奇しくも外卦は震で動きたいのですが、小過では艮によって引き止められ、恒では巽によって心が惑います。

不意にまだ自分の知らない世界があることを知ってしまった人は、恒で浮気心が出てきたり、小過で今とは異なる生き方に憧れを抱きます。これは当然、現在の生活の脅威となるものであり、配偶者や周囲の人達にとっては受け容れがたい内容です。仮に、それが個人的な問題に収束するとしても、新しい生活に入ることのメリットと今の安定を失うデメリットを現実的な観点から比較検討すべきです。単なる衝動で無鉄砲な決断をしてしまうと未練が尾を引くことになります。結果的に別れを選んだり、新しい環境に身を投じる場合でも、できるだけ身の回りの片を付けてからの方が後腐れがなくてスッキリするはずです。

補完関係は山水蒙、その先のヴィジョンは水天需。蒙は幼い子供、需はその子達を育成することを象徴した卦です。そこから、まだこの世界の仕組みをほとんど分かっていない未熟な状態を蒙、知識や体力を身に付け、現実の社会に適応していこうと成長過程にある状態を需とみます。この蒙と小過は意識における鏡面構造をなしています。小過の覗き穴から外の世界を眺めると、そこには右も左も分からないけど無邪気に毎日を生きている自分がいる…。言い換えると、64卦の最終段階にある小過は次のプロセスの内容を少しだけ閲覧できるのです。そしてそれは既済→未済と進行するにつれて、開示される度合いが大きくなってきます。敏感な人には3巡目の8、つまり屯・晋から26番目の大過・節の時点で、新しい影響力(8)の気配を感じ取ることができるでしょう。だからこそ、責任や義務を重荷と感じたり、限度を超えてしまいがちな状態に歯止めを掛けようとするのです。

小過の構成は、外卦震の刺激に抵抗するかのように内卦艮の自制心が置かれています。それは、夢を追い求めるのに夢中で現実を甘く見たり、失意に暮れるあまり自分を見失わないようにという警告と取れます。だから、これを補完するために蒙としての未熟さ・曖昧な理解・実態を知らない無知さ知って、まずは求める分野の先生を見つけるなり、できる限り事前に学習しておく必要があります。それと共に、きちんと需としての衣食住の確保――今の仕事を辞めた場合の次の職や住居を探すなどの準備を確実にしておくことが大切です。これを怠ると新生活なんていう悠長な話ではなくなり、行く当てもなく落ちぶれるハメになりかねません。小過の段階ならば、まだ今後の計画を立てるくらいの時間はあるでしょうから、無謀な飛び込みをする前に、今できることやすべきことを済ませるようにしましょう(既済)。

<爻意は後日、追加更新します。>

 


C.I.の保管庫(トップ)I-Ching 〜易経(周易)〜>雷山小過