*風沢中孚 / Inner Truth


C.I.の保管庫(トップ)I-Ching 〜易経(周易)〜>風沢中孚

61.風沢中孚

中孚はコア(核)を示す卦です。心とか精神・魂のような生命にとっての本質にアプローチする性質。誠実さや真心、愛という引力(重力)によってあらゆるものを引き付ける作用。前の水沢節で人や社会の流れを統制する方法に気を使ってきました。しかし、紋切り型のやり方では真の意味で人の心を動かすことはできないと分かり、もっと相手の心の琴線に触れるような、そして感動や刻印をもたらすような深みのある働き掛けをしたいと考え始めます。隠し事をせず本心で接したいと望む。スポーツなど、全力で戦い合った人達が勝敗に関わらず意気投合することがあるように吸着作用が強く働きます。時に一方的にもなりますが、基本的には相互理解が鍵となる卦です。

裏卦および綜卦…というかパートナーは雷山小過。中孚と小過は視点反転しても元の卦のままですが、易卦には必ずパートナーとなる関係があるので参照して考えると良いです。他には乾為天と坤為地、坎為水と離為火、山雷頤と沢風大過の関係がそうです。さて、水沢節では限度を超えないようにセーブし、次の中孚では各人や状況にとっての適度(中庸)を得ようと心を砕きました。ところが小過では一転、正常値から外れてしまいます。抑制も利かず、求心力よりも遠心力が勝った状態。ロケットが地球の引力を振り切って宇宙へ飛び出すようなものです。中孚の誠意とか親愛の情は、特定の条件下(共同体)で生きている人の中では信頼できるものなのですが、そこに風穴を開けてしまうタイプの人にとっては決して住み心地の良いものではありません。組織の和や風俗を乱す者として追い出されたり、孤独の中で自分の生き方を考える必要が出てきたりします。大概、現状に価値を見出せず迎合できない性質なので、結果として枠外へ飛び出す形になるでしょう。

類似関係は沢山咸。咸と中孚は屯・晋から27番目で3巡目の9です。9は自と他を選り分けず同調しようとする性質。相手のことを本当に理解するには相手と同化するのが最も確実だという精神の表れ。27では20という多種多様な人々が生きる中で、7としての自分の意志を外部に打ち出そうとします。その結果としての反応が3巡目の9としての周囲の理解や同調を呼び込むのです。それはいわば自分の願望が叶った状態であり、一つの求めていた到達点です。想定でき得る範囲でのユートピアとも言えますが、もちろん完璧ではありません。そこには色々な制約や条件が付いていることが普通で、しかもそれは外部の人にとっては異質だったり、それほど重要視されるものでもなかったりします。価値や意義は、その恩恵にあやかっている人にとって重要であるだけで、そこから外れた所にいる人にとっては意味を成さなかなったり、逆の意味になっていたりするものです。

それは恋愛(咸)にしても「人の道」(中孚)にしても同じです。恋愛は当人同士の関係なので、深く結ばれるほど二人だけの世界観が築かれて、他人が入り込む余地はなくなります。仮に割って入ろうとすれば反発されたり、三角関係などの問題が生じてきます。一方、中孚も精神的な教えやとっておきの技術などで人を引き付けますが、実際は、そうした内容は示す人によって異なります。だからこそ宗教が乱立してきた歴史があり、各分野で様々な考え方や方法論が主張されているのです。たとえその内の一つがどんなに素晴らしくても、その感性とか魅力を理解できる人を引き付けるだけで、必ずしも万人に受け容れられるわけではありません。それに適用可能範囲や有効期限という問題もあるでしょう。なので、改宗を迫るかのように無理強いや説得を試みても、また印象付けて刷り込もうとしても相手の意に添わなければ効果はないか、一時的なものに終わってしまいます。

もう一つ9の性質を書くならば、それは優劣とか勝敗を競う、ということです。本来は地球に生きる(同じ圏内を共有する)者としての集合的な意識への溶解性(合一)を示すのですが、些細な違いや個々の条件にとらわれ出すと、一なる全体としての意識から遠ざかってしまいます。先の例で言うと、宗教・宗派の違いによる批判や敵対、時に弾圧や戦争への発展…、同一ジャンル内での勢力争いに明け暮れるような空しい日々などがそうです。これらは自分達のものこそが優れており、他のは劣っているという思い上がりに起因する対立です。27である中孚も咸も3巡目の9ですので、ベースには9の精神が流れています。同じ本質を追求していても表面的な差異に関する個々の嗜好は異なります。自分が好きになった対象を誰もが好きになるとは限らないし、本当に大切だと思うモノは一人ひとり違う。だからこそ、押し付けたり非難したりせずに相手に対して寛容であること、それが誠とか真心というものじゃないでしょうか。(孚という字の本義的には、犯した過ちや罪に対して誠意ある行動で償う、あるいは、人として自らを反省して生き直す、という意味にも取れそうです。)

補完関係は水天需、その先のヴィジョンは天水訟。需は日々をゆったりと過ごすことを意味する卦です。今できる範囲で自分のリズムを作ること。例えば、規則正しく食事や睡眠を摂ったり、仕事と休養(遊び)の適度なバランスを図るなどです。無理をせずに現在の居場所の中で現実的な快適さを作り出す努力が需です。そうしている間に仕事や目的をこなすのに必要な心身が育まれます。一方の中孚は、心のつながりを重視する向きがあるため、実際的な面を求めると物足りなさを覚えがちです。具体的な計画とか資金などの話になると核心を失ったようになりやすく、実益も期待ほど多くはないでしょう。そこで、中孚は需から現実的な生活感を、需は中孚から精神的な支えを補完する必要が出てきます。この時、先述したように優劣を付ける癖を抜かないと訟としての争いに発展してしまいます。自分の価値観に傾倒するのは結構ですが、それで誰かと衝突しては面白くありません。…たとえ勝利を得たとしても、です。

<爻意は後日、追加更新します。>

 


C.I.の保管庫(トップ)I-Ching 〜易経(周易)〜>風沢中孚