*震為雷 / The Arousing


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51.震為雷

震は「ふるう」。揺れる・驚かす・動く・雷鳴のような大きな音といったことを意味する卦です。例えば、マンションで上の階に住む子供達がドンドンと飛び跳ねるので迷惑しているとか、横の人のコンポの音やドンチャン騒ぎがうるさい…というような状況です。震為雷の卦辞と爻辞には祭りという例が挙げられており、「祭りの最中のように自分自身も騒がしい中にいれば、雷のような外的な刺激にも驚かない(手に持っているお皿やスプーンを落とすこともない)」とあります。ドンチャン騒ぎをしている側は、それを聞いて迷惑がっている人ほど自分達が騒いでいるとは思っていないものです。しかし、我慢も限度を超えれば苦情も来ますし、あまりに酷ければ訴えられてしまいます。はしゃぎ過ぎて我を見失ったり、周りへの配慮を忘れないように注意が必要です。(逆の状況もあります)

また、この卦は声や威勢ばかり大きくて、実際には内容がないという状態も象徴します。虚勢を張って格好つけても、それに値する実力がなければ、「弱い犬ほどよく吠える」と皮肉られてしまうでしょう。粋がって空元気を振るうのもいいですが、そんな態度がいつまでも通用するはずもありません。これは裏卦の巽為風と対比して考えるとイメージしやすいと思います。巽は細く長いもの(気の長さ)を象徴し、震は太く短いもの(気の短さ)を象徴します。スポーツで言えば巽が長距離ランナーで、震が短距離ランナー。瞬発力とか急激な加速は震に勝るものはありませんが、持続力が無いのが欠点です。一方の巽は爆発力はないにせよ、一定のスピードで長く走れるのが特徴です。ついでに言えば、中間距離もしくは両方を兼ね備えたタイプが震と巽が折衷された雷風恒や風雷益となるでしょうか。

綜卦は艮為山。艮は「動かざること山の如し」で、どっしりと静止する様を表した卦です。動である震とは逆の状態。震でアクセルを踏んで発進し(巽で維持)、艮でブレーキを踏んで停止する。動と静では状態が全く違いますが、この動静が正常に働かなければ、人の行動はデタラメになってしまいます。音楽で言うと、震がロックで艮は瞑想音楽という感じ。ちなみにジャンル分けするならば、例えば交響楽やミュージカルやオペラは乾、ラップやヒップホップは兌、トランスやテクノは離、ロックやパンクは震、バラードやレゲエは巽、演歌やソウルは坎、民謡(民族音楽)などの伝統音楽やヘミシンク系は艮、BGMや自然音やカントリーは坤、という具合でしょうか。まあ、動中の静とか静中の動というように「動+静」を併せ持つのが普通なので、一概に決め付けることはできませんが。

類似関係は地沢臨。共に屯&晋から17番目の卦で、2巡目の8です。8は陰数で内向性ですが、力の極点(山頂)を示す数字です。内的な達成感。これが2巡目では反転するので、噴火や噴水のように思いの丈がドバーッと外へ湧き出すような趣が出てきます。そこに曖昧さはありません。一つ前の蠱&鼎では、腐敗したり入り交ざった状況に狼狽していましたが、臨&震では一旦、その影響を精査・吟味するために受け容れます。そこで音楽のノイズを取り去るような作業をしてメインを引き立てるわけです(18番目の観&艮では逆にノイズの方に意義を見出す。録音した音源を調べて場所や状況を割り出す音響の専門家のように)。震も臨も前向きで克己心のある卦ですから、否定的な要素が出てきて一瞬怯えたり葛藤することはあっても、圧倒されてしまうことはまずありません。

補完関係は地山謙、その先のヴィジョンは雷地豫。謙は謙遜・謙虚さを意味する卦。大有による慢心を反省し、自制心が生じた状態です。震為雷は「動」の働きが倍になっているだけあって落ち着きがありません。大人気なく衝動的なことをして咎められたり、自分勝手さが浮き彫りになる傾向があります。自分(達)は良くても他の人には迷惑がられているケースも少なくないでしょう。そうした理由から、震為雷を補完するには地山謙としての自己制御が必要というわけです。

身勝手さを反省したり、自分のしたことの責任をきちんと受け止める。声や音が大きいと言われれば、逆ギレせずに一言謝りながらボリュームを下げる。他の人の邪魔にならないように配慮する等。相手の反応を見、周りの人を気遣うことで適度を学ばなくてはなりません。そしてヴィジョンは豫(予)。日常の中で生じる不手際を反面教師として今後の行動指針にできれば、逆に強い味方になってくれます。フィードバックを利用して調節する。これは五行での相克(制剋)の概念に近いかもしれません。

<爻意は後日、追加更新します。>


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