夬は意を決するの意味。状況や問題が限界を迎えており、何か行動を起こさなくてはならない状態です。成卦主である上六が鍵。問うテーマが何であれ、それが瀬戸際・飽和状態・危険水域に来ており、決断したり、無茶したり、淘汰されたりということになりやすい時です。沢(兌)は池や泉のような水を象徴するので、例えばコップや風呂釜から水が溢れ出しそうになっている場面とか、大雨で堤防が決壊してしまうような危険をイメージすると分かると思います。限度を超える直前。止めたり排除できるならそうすべきですが、それが無理ならば何らかの対策なり警戒が必要になってくるでしょう。ただし、緊急事態ならともかく、いきなり無謀を働いたり捨て身になるようなことは控えるべきです。まずは身辺を強化してから、時期を見計らって取り掛かることが大切です。
これは裏卦および補完関係にある剥と比較して考えると分かりやすいと思います。夬では陰が、剥では陽がそれぞれ下の勢力に追い立てられている形。剥では上九が蓋として機能しており、それを取って(押し上げて)しまうと終には崩壊してしまいます。夬では、上六を取り去ることで中身を味わうという卦。例えればビールや炭酸飲料の泡が上六です。ただし本卦そのものを得た場合は、夬や剥としての卦義、その成卦主たる上爻に自分が置かれるケースが多いだろうと思います。
綜卦は天風[女后]。夬の視点や状況が反転した形で、乾為天の中に一陰が潜り込もうとしている形。対象(モノや人など)を求める心。風は情報・交流・陰としての女性などに象徴され、それらが現状に対する新風として吹き込んできます。それによって良い影響が出るか、逆に足元をすくわれるかは当事者次第ですが、とにかくこの刺激によって今までの自分(達)になかった要素が加わることになります。夬では陰を排除しようとし、[女后]では陰を流し込もうとする。この二つの卦は、今までの自分が執着していたこと、未練を持っていたことにフォーカスされるという共通項があります。そして、断ち切られたり、後ろ髪を引かれる思いになったり、改めて関わろうとしたりするのです。
夬と[女后]は十二消長卦のメンバーです。乾坤を軸とした陰陽の呼吸を表わしたものが十二消長卦ですが、その内の乾為天に向かう直前が夬で、直後が[女后]という関係。最後の陽の一押しと最初の陰の参入という対比。夬の手前は目標に対して勢いづく大壮で、それがリミット一杯まで来た状態が夬。ここで相手や自分自身の内面と対峙します。そこでどう転ぶにせよ、突き抜けた先が乾です。ここで自分の存在の本源と向き合って、今までの自分と本来的に求めていた理想像との照合を行います。この時、未練や執着、心残りなどがあれば、それが影としての一陰になり[女后]が生まれます。再度、循環の道を行くことを選択するわけです。その後、[女后]の渇望する気持ちが強くなると、次は遯としての偏向性が出てきて特定の対象に傾注するようになっていきます。
類似関係は地天泰。泰は天地のエッセンスが交合する卦。創造の行為。これに成功すると同人としての「人」が誕生し、失敗すれば否。陰陽という逆の性質を持つものと同調し合一することで、新しい可能性を得ようとしています。一方の夬では、自分と同質のものだけで周囲を構成しようとしています。夬も上六の陰を締め出すことで、乾という世界観で占めようとする働きがあるので、偏った方法ですが一つの創造もしくは再創造の行為とは言えそうです。しかし、この夬の姿勢は、例えば同じ血液型とか同じ性格タイプの人間ばかりを集めた組織のようなものなので、特定の事柄には鋭さを示しますが、同調(理解)できない相手や対象に対しては辛辣さが表れやすくなります。人間的な丸み・多様性・柔軟性・寛容さに欠けがちなので気をつけたほうが良いでしょう。
夬の補完関係は先述したように剥ですが、実は補完関係には二段階の見方が必要です。夬と剥は、互いの欠けた要素を持った関係ですが、仮に穴埋めすることができても単にそれだけです。補填されたことで充足は得られるかもしれませんが、求める変化や進展を起こすためには、そのためのヴィジョンがなくてはなりません。それを提供するのが各々の次の卦です。つまり、本卦が夬ならば補完すべきは剥で、その先のヴィジョンは復。同様に本卦が剥ならば夬を補完しつつ、[女后]というヴィジョンを見る。これによって初めて意義のある変化が生まれ、一歩前進することができます。この剥・復・夬・[女后]の四卦が補完関係について最も考察しやすいものだと思うので、ここに解説することにしました。
<爻意は後日、追加更新します。>