解は、解放、ほぐす、解消するの意味。例えば、数学の難問に取り組んでいて、ふとしたヒラメキから解答が導き出せたようなイメージ。曇っていた頭脳(坎)に閃光(震)が走る瞬間。インスピレーション。蹇という艱難辛苦が解消されてゆく気風、またはそのための敏速な対処。解決できる時にグズグズしないで取り組む姿勢。緊張を解いてリラックスする時と、テキパキと集中して仕上げる時のスイッチの切り替えを明確にしておく必要性。自分と相手という互いに影響しあう関係の中での反応力を示すので、今が与える時なのか、受け取る時なのか、その秤を考えているような状態でもあります。これを誤ると、どちらも主体性を失って、互いに振り回したり依存・束縛しあうだけの関係になりかねません。
裏卦は家人。一家としてまとまる以前に個々の生活がありますが、家人はそれぞれに役割を担いつつ、一つの目的に向かうスタイル。ただ、これには集団性における潮流が根底にあるので、「全体としてどうか」という視点が重視されやすい面があります。それが強調されると、ある種のシンボライズもしくはレッテル化された存在としての生き方になりがちです。これに対して解は、基本的に双方向性であり、個と個、集団と集団というサイズに関わらず、そこには発信と受信の関係が生まれてきます。解と家人の一つ前の卦、つまり明夷と蹇では単に自分の思いを内に秘めるだけだったり、救難信号(SOS)を発信して応答待ちの状態でした。それが家人では明夷を癒す場となり、解では蹇に対して返答します。外部(他者)に働きかけると、必ず何らかのレスが付くという構図。
解の類似関係は水地比です。屯&晋から6番目の卦。これらは、自と他が互いに干渉して打ち解けあうという互換性を共通項として持っています。相手と親しくなるのも、許したり認め合ったりするのも、それぞれに価値や役割という存在意義があることを知ったからに他なりません。そして、それは互いに補ったり協力することで強くすることができる。これによって5番目の師&蹇での障害は打破されますが、その半面、個としての自由性とか遊び欲求は制限されます。というより、拡大意識が抑えられ、特定の事柄に意識と力を集中し始めたと言った方が良いかもしれません。
これは例えば、今まで独身を謳歌していた人が、結婚して家族を持ったことで、昔のように自分の趣味や好きなことをするためにお金を稼ぐのではなく、家族を養っていくために仕事をするようになった、という状態と似ています。6の数字には「責任感を持つこと」や「調和を作り出すこと」という意味があり、自分を柱として据えたり、生き方のスタイル(生き様)を見出すことで、より自覚的な生活を送ることを意識し出すのだと思います。これからの人生の核・芯・軸となるものに自分の存在全てを傾注するような姿勢。目的を絞る。一つの明確な道を見出すことで軸ができるので、他の方面からの刺激を受けても意志がグラつかなくなっています。仮に浮気心が出てきて揺れても、そこに自制心や限度を設けることで軸を保って破綻を防ぐ、といった感じ。
雷水解を補完するのは山天大畜です。大畜は日々の積み重ねによって力を培うという卦です。練習や繰り返しの作業の中で、体で覚え込んでいく状態。職人技とかプロ意識に通じやすい性質。料理で言うと大畜はグツグツと一日かけて煮込むようなタイプで、一方の解はレンジでチン!的な、あるいはレトルト食品的な即効性を売りにしたタイプです。手間隙かける派の大畜と手軽に美味しい派の解。あくせくした現代ではお手軽商品は不可欠ですし、時には丹精込めて作られた手料理も食べたくなります。どちらを求めるかは場合に応じて異なりますが、等しく価値があります。
なお、解では何かを達成したり解決した後は、すぅーと気が抜けてしまいやすいので、喝を入れる大畜の精神が是非とも必要です。怠ければ、自分では気がつかない内にどんどん衰退してしまいますから、ここに「日々是精進」の気持ちが入ると補完されるわけです。エネルギーをチャージ(充電)する。労働に耐えられるだけの体力をつけるために運動するなど。また、逆の視点を考えると、大畜としての張り詰めた毎日が続くと休暇が欲しくなったり、隠れて息抜きしたくなります。でも、その度に抜け出したりサボるわけにもいかないので、公認のストレス発散の場を用意したり、各自で見つける必要が出てきます。一日働いて疲労の溜まった筋肉をほぐしたり、お風呂に入るようなイメージ。他の補完関係でも構造は同じですが、特にこの二つは緊張と弛緩(リラックス)というバランス関係を意識させるものだと思います。
<爻意は後日、追加更新します。>