*地火明夷 / Darkening of the Light


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36.地火明夷

明夷は、明としての智者・賢人・徳のある人・正論を唱える人が傷つく世の中を示す卦です(どの人も現代では見極め難いですが)。正直者が馬鹿を見る社会。良心・道徳などを発揮ししづらい状況。晋という太陽が姿を晦まし、夜の帳が下りている時。世の中が荒廃し、徳のある政治から遠ざかっている状態です。また、真っ当なことを正々堂々と言えない心苦しい時世の象徴。「能ある鷹は爪を隠す」で生きざるを得ない時期です。綜卦の晋が意気揚々と自己アピールをする卦であるのに対し、明夷は自己主張を諦め、いつか道理が通るようになるまで時を見送る卦と言えます。

裏卦は天水訟。訟とは言い争い・訴え・自意識の発達。互いの主張が相容れない状態を示す卦。自分の意志を通すために、相手に折れてもらうように要求する姿勢。そのため、どちらも譲れない時は衝突してしまいます。大人の都合など意に介さず、子供が駄々をこねたり、注意を引き付けようとするのに似ています。本卦の明夷は、初めから勝負にならない(負けるのが目に見えている・状況的に話にならない)と分かっているので、主張を抑えたり、ボイコットしたりして戦線離脱します。表立って衝突することは少なくなりますが、正論が通らないこと、そして自分の意図する方向へ事態が進まないことを疎ましく思うでしょう。

シンメトリー的な類似関係は蒙。蒙は曖昧・無知蒙昧・未熟の意味。具体的な目標とか方向性が定まっておらず、ただ闇雲に霧の中を歩き回るような状態。明夷は、外的な状況そのものが闇であり、たとえ夢や理想を抱いていても、それを打ち出すことができない状態です。内容は異なりますが、どちらも進もうとする先に障害があって暗中模索するという共通項があります。これは屯&晋でのスタートに対する、環境や自分の内情からの斥力です。1に次ぐ2としての反作用。夏の夜、寝ようとしているのに蚊が耳元を飛んで邪魔してくるようなイメージ。何かを始めたリアクションとしての問題の発生。思い通りに行かないことを味い、これによって次の家人&需の態度の根っこができてきます。今は、屯&晋で抱いていた考え方やスタイルが、時に儚く、時に劇的に崩れていく時です。

明夷の夷(い)は傷つく・やぶれるという意味。特に危うい地位にある九三と上六は、そういった状態になりやすいです。これまでの自分の社会的立場・言い分・築いてきた信頼などが一気に崩れてしまったりします。あたかもドミノ倒しにでもあったかのように、時には風邪が伝染するようにあちこちに影響が波及することもあります。こうなるともう自分だけの問題ではなくなり、責任の追及も重くなります。なので、前もって想定できるのならば予め身を慎んでおくことが望まれます。非常事態が起きてもパニックになって二次災害を出さないように冷静に対処すること、そして、そんな状態からでも可能な限り状況を立て直す精神力が問われています。

ちなみに、明夷は恒と補完関係にあります。明夷は破れる・壊れる・負ける・傷つくで、恒は状態を保とうとする性質ですから、ある固定された状態を打ち壊す負荷(耐久)実験という感じの意味が読み取れます。緊急事態や異常事態に対する対応力を測るような関係。易は変化を前提に相対的に構成されているので、何であれ絶対的な完璧さとか不滅さということは理屈上あり得ません。恒という永続性を求める卦ですら、そこには移り変わるという無常性が横たわっています。これを易の三義の一つ、「変易」(変化する性質)と言っています。

しかしこれは言い換えれば、どんな人も物事も常に変転するということです。これを逆の意味で「不易」(不変の性質)と言っています。進化するにせよ退化するにせよ、変わり続けるという不変性。仕事における成功も失敗も、人間関係も、社会や世界との関係も、また幸福や不幸の概念も、さらにはそれらが意味する内容も時間や場所が変われば変化してしまいます。成功が恒常的に続くことはなく、また失敗もいつまでもそこにあるわけではありません。上がれば下がるし、下がれば上がる。この波の律動が大なり小なり全ての事柄に関わっています。大局的に言えば人生はリズムです。変わるのに変わらない、という矛盾したような理屈が表裏になっています。

そして、この両者(固定化する性質と流動化する性質)の間で綱引き状態になっている人間は、揺れ動く心に振り回されたり制御を試みたりしながら生きています。つまり、自分を特定の状態に保持しようと働きかける時もあれば、緊張をほぐすように自分を解放させたり、力(刺激)を与える時もある。「慣性」に対する「摩擦」。車で言えば、止まっている状態から前進したり後退するようなものです。アクセルを踏んでいる状態が常に続くわけではないし、ブレーキをいつまでも踏んでいるというわけでもないですよね。このシフトチェンジとか緩急のような作用を「易簡」と言っています。ある意味、ニュートラルの状態。

もっとも、ここで解説した易の三義は僕独特の解釈なので、一般に見られるものとは異なります。通常、「変易」は昼夜や四季の変化のように日々または時々刻々と移り変わる様子を意味し、「不易」は地球と太陽や月との関係のような巨視的な観点での恒常性を意味しています。近くで見ると細かな変動を繰り返しているものも、遠くから見ると一見なにも変化していないように見える、あるいはそこに宇宙や自然界の法則を見るという対比。旧暦や干支暦などの暦もそうした法則性を基に作成されています。そして「易簡」は、易という陰陽二元論に基づくシンプルな規則性、その扱いやすさを示しているとされています。これはこれで納得できる話だと思います。だから、僕の解釈は一つの参考として受け止めて頂ければ十分です。

<爻意は後日、追加更新します。>

 


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