咸は直感・直観という瞬間的な感応作用を意味する卦。基本的には感と同じですが、「心」が入ってない字を使うのは、それは“無心(私心が無い)”であるからだという説があります。また、字義によれば“皆”という意味もあるそうです。集合的に感応する――シンクロニシティ(共時性)、あるいは全爻が応じ合っていることから共感覚とも言えるでしょうか。何らかの反応・感覚・感性の鋭敏さ。英語で言えばフィーリングとかレスポンスです。何かを感じたり気づいたりすることから、人や物事との具体的な関わりが始まります。今後の展開の発端となる出来事。直感とか虫の知らせ、第一印象、予感、違和感、悪寒などの反応を表す卦です。
人に対してであれば、宿命的な出会い、一目惚れ、生理的な好悪の感情、良くも悪くも気になる人…。そこから恋愛が芽生えたり、友人としての付き合いが始まったりします。そしてその先に、恒としての結婚だとか生涯の親友になるなどの状態に繋がっていきます。ただ、この咸は感じるという心理的・精神的作用が前面に出るので、あまりお金などの物質的な事柄には向きません。また、直感的に突っ走る傾向もあるので、場合によっては「後悔先に立たず」になる恐れもあります。直感にも純度の高い信じてよいタイプと、エゴが混入して二番煎じになっているタイプがあるからです。良心が痛んだり、何か後ろめたさを感じるのであれば、それは本当の直感(直観)ではありません。もし余裕があれば、データの裏付けなど客観的に検討できるものがあると良いでしょう。
陰陽反転すると山沢損。損は損なう・失う・減らす・分けるの意味です。日常的には益(利益)に対する損(損失)として考えると分かりやすい。同様に、咸も恒との比較で考えると一段と理解しやすくなると思います。益が社会的・物質的な充足を求めるのに対し、損はそうしたものを減らして、代わりに精神的な価値観を追求します。陰徳の考え方に賛同しやすい性質と言えるでしょう。自分から損を被って犠牲になるか、それを嫌って抜け駆けするか、上の指示によって降板させられるかは爻で変わりますが、自分が身を引くことで周りが利益を得るのならばそれで良しという思考をする傾向があります。ただ、内心では納得できないなどの不満が残るかもしれませんが。
損益の概念と同様に、恒が人や物事との関係を恒常的に保とうとするのに対し、咸は一瞬の反応に意義を見出します。たとえ刹那的であってもトキメキを求めて、いつまでも若々しくあろうとする。想いの込められたメールを送受信するようなイメージ。たとえリアルに体と体が触れ合っていなくても、また遠く離れていても、心がシンクロして通じ合っていれば、とりあえずは咸です。ネットの掲示板やコミュニティで、顔も本名も知らない人達と意気投合するような状態なんかもそうだと思います。端的に言えば、何かにアプローチしたり出会ったりした時の反応・反射・反動を味わうのが咸で、そこで生まれて発展した関係を持続させようと試みるのが恒。
対称となる卦は風沢中孚。中孚は真心・誠心誠意・中庸の意味です。本来的には親鳥が卵を温めている情景だそうです。外卦巽と内卦兌の中間位置には上下の陽爻に挟まれた二陰があります。陽爻が親鳥の体で、陰爻が雛となる卵という形。ちなみに、適度な塩分濃度の水槽の中に卵を入れると、浮きもせず沈みもせずに真ん中に留まります。こうした一種の無重力状態を中孚のイメージに当てることができるかもしれません。中孚の綜卦および裏卦である小過の場合、濃度が偏ってしまいますが、中孚では丁度良い加減で物事がまとまっています。ここから考えると中孚と小過は、ある関係内での限界もしくは臨界点を示しているように思えます。釈迦が悟りを開いたプロセスのように、両極端を経験することで見出される適度さ(中庸)。
咸も中孚も心を通わせるという意味では似ています。咸ではテレパシー(以心伝心)的に、そして中孚では親和性をもってお互いに引き合います。一種の磁力のようなものです。ことに中孚の場合、「泳いでいる魚までもが胸を打つ音楽を聴くために水面に上がってくる」(游魚出聴)くらいの気持ちが必要だとされています。人間性で人々を惹きつけたり、豊かな感性が発露して周りを感動させる。時にその感動や信じていることを広めようと布教とか勧誘、押し売りみたいになってしまうこともあります。また、ヒナの刷り込み行動のように初めて見たものに同調するような感化の仕方とも言えなくもないです。時に優しく、時に熱く心を通わせ合う人々。
思うに咸と中孚は“心”が主テーマですから、その働きをどう扱うかに焦点化されています。恋をして相思相愛になったり、インスピレーションに導かれたり、芸術を理解できたり、自然が生きていることを感じ取ったり、愛してやまないものを他の人にも広めようとしたり…。そうしたことができるのも、人を含めた全ての生命に共感能力があるからに他なりません。示されたものに共感するか突き放すかは内容によりますが、どちらであれ自分の価値観とか信念に適うかどうかが鍵になっているように思えます。
<爻意は後日、追加更新します。>