3.水雷屯
乾の創造力を坤が受容し育んでいくと、やがて出産の時を迎えます。この水雷屯は乾坤という両親における初めての共同作業の産物であり、またその生みの苦しみを表しています。占的が何であれ性質的には赤ちゃん、または幼児というわけです。ある環境・仕事・スタッフ等とのファースト・コンタクト。初々しさがある反面、慣れないことにオロオロしやすい状態でもあります。
裏卦(錯卦)は火風鼎で、類似関係は火地晋。屯と鼎は陰陽が反転して方向性は逆ですが、どちらも自分自身を成長させるための環境選択をしています。屯は閉鎖的な環境での子供的な純真さを、鼎は広がる人間関係の中で大人的な社交性を訓練しようというわけです。次いで、屯と晋は共に新しいスタートに伴う状況を表わしています。屯では伸び悩みや不安、晋では揚々とした勢いがある。屯・鼎・晋のいずれにしても新規の事柄に関連がある点で共通しています。ただし、鼎は一から始動ではなく環境・関係の改善がメインです。屯と晋は初期段階としての苦労とか意気込みを象徴しており、第一歩を踏み出す際の性質の違いが表れています。
さて、何かがスタートする時には将来に対する希望と同時に不安や戸惑いも出てくるものです。この卦は、そうした現状や心理状態を象徴しています。今はまだ萌芽としての状態であり一時も気を抜けません。知識も経験も明らかに不足しているため、どうしてよいか分からずに右往左往しがちです。そんな時に一人で勝手な判断をして対処を誤ったとしたら、後々に大きな禍根を残すことにもなりかねません。それが我が子や自ら創作・制作したものであるならば、なおさらです。とはいえ、初めが肝心、この期に及んで諦めるわけにもいきません。だからこそ適切な対処を行うためにも、親や先輩・先生・信頼できる友達・専門家・プロ、及びその道に通暁した人達に相談して協力を仰ぐべきなのです。まずは信頼の置ける心強い支援者を見つけて味方につけましょう。
水雷屯は物事の創世期ですから、企業で言えば組織の立ち上げとスタッフの確保、そして各部署への人員配置といった事柄に相当すると思います。何事もまずは人ありきで、次いで軍資金や資材の確保。それからデータ収集と顧客を得るための戦略。…といいつつも僕はビジネス方面には弱いので、あまりそういうことに触れる資格はありません。ただ、とりあえず言えるのは何を始めるにしてもベースキャンプとなる場所が必要であること、さらにそこから発信する人・技能・情報などがなくてはならない、ということです。失礼な言い方が許されるならば、要求された仕事ができない人とか能力は高くても協調性の低い人は雇えない、あるいは適性に合うような別の仕事に回ってもらう等の処置を取らなくてはならない、ということを意味します。例えば、明らかに営業向けの性格の人に単純労働をさせるのは理に適っていません。適材適所を考えさせられる時です。
坎卦は苦難や試練を象徴するものとして解説されることが多く、特に屯は四大難卦(屯・坎・蹇・困)の一つとされます。上卦に坎があれば外患で下卦にあれば内患、坎為水ともなれば内憂外患というわけです。この水雷屯では上卦にあるため外患、つまり外部へ向かう行動もしくは外部の状況そのものに難があると判断します。ことさら屯は下卦が震(雷)という発動を意味する卦で意気込みがある分、それを挫かれる恐れがあるという理由で難卦に当てられているのだと思います。また生まれたてで右も左も分からない状態ですから、闇雲に突き進むのは危険だという戒めでもあります。幼い子が興味の赴くままに道路に飛び出してしまう状況に似ています。あるいは散歩中の犬が道路の反対側の臭いにつられて急に車道に走り出てしまうようなものかもしれません。子供や愛犬が事故に遭わないように注意してみていなければなりません。
ところで、易は1.乾為天と2.坤為地、3.水雷屯と4.山水蒙という風に奇数卦と偶数卦をセットにして考えると、より理解が深まります。これは綜卦(賓主法)、時に錯卦(裏卦)となりますが、実はこの考え方を応用しているのが納音です。納音は屯から未済までの奇数卦と偶数卦をワンセットにした意味を基調として30にまとめられていると考えることができるのです。例えば屯・蒙は海中金という風に。また納音は干支とも対応していますから、さらに発想を広げることもできます。屯・蒙が甲子・乙丑、需・訟が丙寅・丁卯に対応します。以下、同じように乾坤坎離を除く六十卦を対応付けることができます。ここでは細かく触れませんが、関心のある方は様々な視点から考えてみると面白い発見をするでしょう。
◇初九
まさしく生まれたての状態です。不慣れな状況かもしれませんが、今は放り込まれた環境が全てです。少なくとも、逃げ出したり勝手な行動を取ることはマイナスです。周囲で何が起きているのかを知る。どんな人達がいて何をしているのか、そしてその中でどのように振舞っていけばいいのか、とにかくまずは情報収集です。この初九の時に与えられた状況なり環境は、実は自分自身が潜在的に選び取ったものなので、それを否定することは自分が進む道そのものを足蹴にすることと同義です。現実的な事情が何であれ、成長や訓練のためにその中に自分を放り込んだのです。だから本来的にその環境は自分の資質にとってはプラスであるし、上手く活かせば才能を開花させる土台になってくれます。どんな仕事であれ、新人とか初心者の頃の苦労は避けられないし習熟するまでしばらく時間が掛かります。忍耐を強いられることも多々あるものですが、苦しさにめげずに一歩一歩進んでいけば、やがて楽しさも見出せるでしょう。また、この時は先輩や上司など周りの人が親身に教えてくれたり、リードしてくれる時期でもありますから、不遜な態度を取らずに謙虚に指導を受けましょう。心を開けば、いずれ苦楽を共にできる良い仲間になれます。とりわけ第一印象が大事な時です。
◆六二
初九では、配属された環境内で周囲のリードに従いながら自分の在り方を模索していました。まだ関係としては深入りも定着もしておらず、入れ替わり立ち代り別の人と話したり指導を受けたりしています。また関連する場所や仕事を見聞きしたりと、自分の居場所が明確化していませんでした。そんな時、この六二で一気に親睦を深めるチャンスが訪れます。それは歓迎会や交流会、地域や会社のイベントかもしれません。チームとしての結束が必要なスポーツに参加するのも効果的ですし、スタッフと旅行に出かけるのもいいでしょう。何であれ、一つの協同作業を経験することで仲間意識が高まります。限定された日常の中では急速な進展が見られない関係も、こうした出来事がキッカケとなって手っ取り早く心を近づけることができたりします。ところで、この時に過去に繋がりのあった人が一緒に関わっていると改めて絆の重要性を再確認することになりやすく、過去の記憶も相まって関係が再燃することがあります。立場の違いから一時的に敵対したとしても本心で恨んでいるわけではないので、片が付けば互いを認めて受け入れられるようになります。趣味など互いに好きなことで繋がる傾向もありますが、熱くなり過ぎて度を越さないように気をつけたほうがいいでしょう。
◆六三
下卦震の天辺。変爻すると震が離になります。離が象徴するものの一つは視力(光の認識)ですが、この光は懐中電灯やスポットライトのような単一方向に発される視野の狭い光線であり、乾に象徴される太陽のような全方向型の照明ではありません。必然的に光の当たる場所にのみ注意が向けられ全体を見失いがちです。爻辞では目前の獲物に執着するあまり森の奥深くにまで分け入ってしまう危険性が指摘されています。「深追いするな、戻れ(やり直せ)」という警告。これは文面通りになることもあるし、対人面での個人的な深入りへの警鐘である場合もあります。六二で要領よくチームワークを育成する過程を辿りましたが、六三では自分の世界観に近い趣味の合う人と個人的に密接になり、そのために集団としての全体的なバランスを崩す結果になるのです。特定の人や気の合う仲間とばかり話をしていると他の人達から浮いてしまい、やっかみを受けたり相手に迷惑を掛けてしまったりします。屯卦は周りの人々や組織全体との関連の中で自分の立脚点を探る卦なので、個々が勝手な行動をとるような軽率さを殊更に忌みます。また、仕事上でも細部にこだわる傾向が出てきやすいのですが、それによって他の人の仕事を遅らせることのないよう全体の進行にも気を配りましょう。
◆六四
下卦震と上卦坎の境界を跨ぎます。六三で獲物を求めて森の奥へと深入りした人は、とうとう森を突き抜けてしまいます。辿り着いた先は池も凍る冬空の町か、はたまた雪降る辺境の村か…。しかもそこは一般の地図には記載されていない隠れ里のような場所かもしれません。いずれにせよ、遠くまで来て疲れている下卦の一行は宿を取ろうとしますが、警戒心の強い村人に余所者は歓迎されません。気を悪くして村を去ろうとする一行に、一人の少女(坎が兌に変化した象徴)が「私も一緒に連れてって!」と息巻きます(変卦が沢雷随)。この少女は大きな使命または野望のようなヴィジョンを胸に秘めており、それを実現するために外部から訪れた機会を利用しようとしているのです。自分一人では動かしがたい現実も、このチャンスを活かせば何とかなるかもしれない、そんな画策。しかし根は優しく芯のしっかりした人物でしょう。少女というのは象徴に過ぎませんが、それが誰であれ陰謀的な関わり方をする点は共通しています。その良し悪しは内容によるので一概には決められません。ただ、卑怯なやり方をする人に対しては憤りが表面化します。本人の意思に関わらず大人の事情に巻き込もうと画策する相手を許せないでしょう。社会への貢献意欲や更生精神の持ち主でもあります。
◇九五
安全だがそこにいては使命を果たせない町を出て、下卦の人々と行動を共にし始めた六四。目的地に着くやいなや胸に秘めた想いを実行に移そうとしますが、思わぬ事態に直面します。この九五はリーダーだったり衆目を集めるような人物であり、自分の主張を通して権威と賛同を得ようとします。しかし、その場には大抵、敵対者や反対者も居合わせており、妨害工作に遭ったり話を邪魔されて収集が付かなくなる等、思い通りにはいきません。一般人ならば気にするほどのことは起きませんが、国務に携わるような重責のある者ほど苦悶する状況になりやすいので、要人警護やセキュリティを徹底するなどの対策は必須です。個人または関係する組織の知られたくない実状に対して外部の目が向けられる傾向があり、時にプライバシーの問題に発展します。このため必然的にこの九五では人権についての線引きに敏感になりますし、公的な存在としての自分と私的な存在としての自分との間での葛藤も抱え込みます。人によっては民衆心理を理解しようと実権を退いて市井に下ったり、自分探しの放浪の旅に出るなど、自分でも不可解さを覚えつつ行動することがあるでしょう。しかし、この苦悩が人間的な深みを形成することとなり、後に広く人々の共感を呼び込む資質に変わります。
◆上六
九五のリーダーは、その信念に反するような一種の悲劇を体験することで捨て身の人生観を抱くようになります。価値の異なるものの中であったり、スパイや潜入捜査のように敵陣の真っ只中に身を置くことも厭いません。ですが、危険な状況に踏み込んでいる以上、拘束された場合の尋問による秘密の漏洩や心身の負傷を覚悟する必要があります。その一方で、本当に信頼できる人間には極秘情報も含め、自分自身の全てを曝け出して協力することでしょう。この爻では主に非日常的・非現実的な事態に対処しなければならず、肉体的にも精神的にも過酷です。しかし、上六の人物には守るべきものや伝えるべきことがあり、どんな辛さにも耐え得るほどの譲れない真実を内に秘めています。たとえそのために苦渋の決断を強いられようとも、最後の砦だけは死んでも守り抜くという強固な決意がこの人を支えているのです。もっとも、一般的な生活を送っている人にはそこまでの事態になることは稀かもしれません。ただそれでも秘密を暴露したりされたり、自己管理の徹底を求められるような状況になることは考えられます。目的のために自分ルールを設ける人もいるでしょう。何にせよ最も大切なもの、自分の芯(核)となる部分を見失わないようにしなくてはなりません。