*地雷復 / Return


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24.地雷復

復は復活、再来を象徴する卦です。心機一転、リセットしてやり直すイメージ。剥で居場所を追われ、転居した先での再建。過去の経験を再構成して新しい生活を始める第一歩にしたり、まっさらな状態に動力(エンジン)として必要なものを組み込む形。とりあえず動けるようにする、という段階と言ってもいいでしょう。PCで言えば初期化、OSの再セットアップ。一旦、白紙(无妄)に戻す作業。十二消長卦で言えば、その上さらに活動の方向性を与えるのが臨で、磐石な基礎を構築してゆくのが泰ということになるでしょうか。

綜卦は剥。崩れ落ちる、枯れ果てる、剥奪されるというような「死に体」の状態。そしていったん土(坤)に返った後、一陽来復のエネルギーで再生するのが復。転生(生まれ変わり)とか生死が表裏であることの易なりの啓示のようにも思えます。もっとも、剥は最後の時期(老境の極みで後がない)、復は最初の時期(新生児で全てこれから)を表す段階なので、どちらにしても具体的な力が特にあるわけではありません。今の環境に居られなくなれば別天地で生きるのが自然だし、逆にここが今の自分にとっての全てならば、その土壌で芽を出し花を咲かせられるように頑張ればいいのです。

裏卦(錯卦ともいう)は天風[女后]。[女后]は邂逅(思いがけない出会い)の意味です。復が全陰(坤)という柔軟な環境に自分を割り込ませるのに対し、[女后]は全陽(乾)という剛健の中にその身を潜り込ませようとします。これから自分の意思と選択次第でどのようにもなる復とは異なり、既に堅固に出来上がっている事柄(世界)に入っていこうとするのですから、陽(剛)同士では衝突してしまいます。だから、自分を陰として柔らかな物腰で相手を油断させたり、死角や弱点を突いたりして、スッと滑り込むのが[女后]の常套手段です。野球でいう盗塁(ピッチャーの隙を付いて次のベースを踏む)のような感じかもしれません。

[女后]の場合、あえて乾という一つの円環する世界の中に入っていくわけですから、そこには自分を特定の環境や立場に向かわせる動機が下地として存在しているはずです。仮に表には現さなくても何らかの目的や意図を持っているだろうと思います。それは一種の執着心とか未練と言い換えることも可能です。このことは復も同様で、リスタートを切る際に前回の経験を踏まえて(成功も失敗もひっくるめて)、新たな環境・仕事・スタイル・人間関係の中で生きてみたいと思うでしょう。上手くいかなかった原因を分析し、方法や考え方を改めたり、新しい解決法や糸口を見つけようとします。

対称関係は旅。旅をすることで豊で盛り上がった精神をクールダウンさせる図式です。この旅は基本的に、友達との卒業旅行や社員旅行のようなワイワイガヤガヤとした楽しいものではなく、むしろ傷心旅行に近いものです。本で言うと「星の王子さま」(サン・テグジュペリ)や「リトル ターン」(ブルック・ニューマン, リサ・ダークス)、あるいは「青い鳥」(モーリス・メーテルリンク)や「アルケミスト」(パウロ・コエーリョ)のような自分探しのプロセスとしての放浪。「リトル ターン」のあとがきにあるように、「かもめのジョナサン」(リチャード・バック)と対比してみるのも面白いかもしれません。その場合、ジョナサンは剥や豊、ターンが復や旅ということになります。

火山旅においては、時に行き当たりばったりの旅であったり、特別に目的意識もなく彷徨う場合もあるでしょう。しかしベースには、いつか本当に腰を落ち着けられる場所を求めている自分がいます。そして、社会生活の中で味わった息苦しさやストレスを別の視座から捉えることで、今まで感じなかった人生の深い意義を理解できれば、そこで細胞が活性化するように自己再生が果たされていきます。“人生そのものが旅”ともよく言われますが、確かにその通りだと思います。

復や旅の役割は、剥や豊の末路ように傲慢さが仇となって自分の立脚点を失ったり、現世的な達成感を追求するあまり本来の目的を忘れてしまっている人に対して、「一度、頭を冷やしなさい」と提案することではないかと思います。東奔西走して疲労が溜まっているなら骨休めが是非とも必要ですし、人間関係のプレッシャーで神経的に参っているなら、どこかで心身を解放させてあげなくてはなりません。

ただし、何も田舎や海外のような遠い場所に出かける必要はないのです。せっかく疲れを取るために温泉旅行を計画したのに、行き帰りの長々運転で逆に疲れてしまっては意味がありません。それよりは身近な所で自分のお気に入りの癒しスポットを探した方が賢明です。カフェのある本屋さん、いい香りの漂うパン屋さん、町全体を見渡せる高台、個性的で魅力的なアクセサリーとかインテリアを扱ったお店、静かに心を落ち着けられる緑の多い公園など。疲れたなと溜息が出るような時にリラックスのために立ち寄れる、そして小さくとも幸せを感じられる、そんな場所を見つけてみましょう。誰もが子供の頃に遊んだ宝探しのような感じで…。意識を緩やかに保って、街を、そして自分自身を眺めてみましょう。きっと思いがけない発見があることでしょう。

復と旅は、屯・晋から22番目であり3巡目の4です。4は基礎を作る数字ですが、1巡目は安定を求めて二元原理の間で揺れ、2巡目の13では内部に浸透した力をバネに逞しく生きようとし、この3巡目の22では社会生活の中で自分のパワーを発揮するために必要な土台(足場)を求めます。それは21の強引とも言える前進意欲を影から支えるものであり、動に対する静という関係です。ただし、働きすぎも休みすぎも人生にとっては毒です。そこで、流れとしては次の无妄や巽で動と静の調和を図りつつ、自分にフィットする方法・環境で生活しようと試みることになります。无妄では下手に画策せずに自然に振舞い、巽では様々な環境や考え方に順応してゆくことを学びます。

◇初九

剥卦の上爻に残っていた唯一の陽を剥落してしまったことで坤となり、世界は全陰の暗闇に包まれました。停電、システムダウンというわけです。それから再び陽が呼び戻されて一陽来復したのが復卦です。リセット(初期化)、再考、復元など改めてやり直すの意味が出てきます。この復初九は剥上九をひっくり返した位置なので、剥の時点でバックアップ(保存)したものの再現とも取れるし、もしバックアップできていなかったとしたら、初期化する際の保護されたシステムファイルとも取れます。絶対に損傷してはならない根本的なものの象徴。そのように、成卦主である初九は陽の芽生えして大事にされるべき存在で、六二と正比で六四とも正応という位置づけ。ただし、坤からの再出発である上に、剥同様に互卦が坤であることは変わらないので、今後陽気が伸びていくとは言っても意気揚々ということではなく、粛々と地道に力をつけていくスタイルが肝要です。だから、下卦震の勢いに任せて短慮に飛び出すようなことをすると、つまらない失敗を繰り返すはめになります。五陰の中の一陽の身、気ままにしたい衝動に駆られることもあると思います。世の中の仕組みを知るにはいいし、無理に押さえつける必要はありませんが、過度になれば後悔もします。今は、これから徐々に実力を世に示して陽の仲間を集っていく大事な時期ですので、軽々しい言動によって自ら躓かないように注意しましょう。

◆六二

復の兆しが出てきたとはいえ、陽気はまだここまで伸びてきていません。ただ、陰位陰爻の正位で初九と引き合っているため、道を踏み外しても遠からず復帰できる位置にいます。それにしてもこの爻の原文にある“休”という字。すごく意味深です。幾つもの実例を整理してみると、「人生は複雑で、人間は理性のみではなく感情も併せ持った生き物なのだ」ということを改めて考えさせられる内容が多いです。共通する意味としては、大体どれも失敗したり心身が激しく傷つく(誰かを傷つけた)経験が前提としてあり、それに対する苦悩や葛藤(時に生き地獄と言えるほどの)が見られます。自分の過失や罪の意識と向き合うこと、溜め込んだ感情のはけ口、更生するために自分が果たすべき義務や責任、心を入れ替えて再出発するという決意を行動で証明すること、償いと赦し、道義、人間的な成長とは何かという問い…。勝ち負けとか法的な裁定といった単純な決着では割り切れない結末を迎える傾向が高いです。一言で自業自得とか因果応報と呼ぶには違和感を感じます。場合によっては、残酷とも思える時間の流れがそこにはあって、屈折して複雑に入り混じった感情が関係する人々をがんじがらめに縛っていることもあります。世間一般の善悪・勝敗・是非の理屈では判断不能な人間心理がテーマになっているようにも思います。現象の背後に何が秘められているかを考え、多面的に人生を見つめ直すことが大切な時です。

◆六三

初九のように正位で正応があるわけでも、六二のように救いの希望(初九)があるわけでもない、この不中不正の六三が正しい道に復帰するにはどうすべきか――当の六三自身、思い悩んでいるかもしれません。例えば、同じミスを繰り返して呆れられ、性懲りもなく危険なことに手を出しては叱られ、イケナイ事だと分かっているのに止められず、何度も決意して挑戦するも挫折…。それでも自分なりの工夫をしてみたり、新しい方法を試してみたりと試行錯誤、実験の日々。どうにかして目に見える成果を出そうと一生懸命になるも、気が上擦って空回り。その度に限度を超えてしまいやすく、リバウンドして元の木阿弥になるか、無理して身体を痛めてしまう。忍者の三禁「色酒欲」(異性・嗜好品・欲望への執着)や仏教の「三毒五欲」(貪欲・瞋恚・愚癡、財欲・性欲・飲食欲・名利欲・睡眠欲)は手厳しい教訓です。もちろん、誰にとっても生きている以上は欲があります。生命維持活動としてみた食欲や睡眠欲そして性欲は、抑制することはできてもなくすことはまず無理です。それらに関しては節度の問題とも言えると思います。他方、異性への執心、酒・タバコ・薬・嗜好品への耽溺、賭け事や株相場への傾倒、周りに迷惑をかけるほどの趣味への熱中などは、気をつけないと身の破滅を招く恐れがあるため、単純に節度や程度の問題とは言えないでしょう。自分一人の都合だけでなく、身近な人達との調和を考えた生活を特に心がける必要がある時です。

◆六四

外卦坤に入ると内卦震に見られた急進的なエネルギーは姿を変え始めます。個人的な追求姿勢や表現形態が、ここに来て世間に訴えかける性質を帯びてきます。一人の人間の中で扱われてきた衝動や強い感情が、仲間や一般の人々を巻き込み、あるいは伝播してゆく。変卦の震はインパクトのある手段を意味するので、見る人や聞く人に衝撃を与えるようなことを媒介にして状況が展開する傾向があります。実例から言えば、感動や猜疑を湧き起こす行動(パフォーマンスやリアクション)、苦境に陥っても仲間との絆で克服する、特技を披露して能力を証明する、事実関係や素性を問い質す、または発覚する、クレームや指摘などで弱点を自覚して強化改良に努める。また一般的な事柄では、映像、写真、絵画、光景、音楽、ニュース、投稿内容、詩、論文、スピーチ…などが挙げられます。六四でも、復卦としての意義つまり一旦は失態を曝したり、弱点を突かれて意気消沈するわけですが、そうした足場の悪い状態から立ち上がっていく強さがあります。一緒に共感したり、理解してくれる人(初九)ばかりではありません。批判や揚げ足取りをしたり、頭ごなしに否定する人もいます。分からず屋には反抗したくなるかもしれませんが、短気は損気です。敵味方を分けるのではなく、どんな人にでもありのままの自分を見せること、そしていつも本領を発揮できる態勢を整えておくことが大切です。やがて見直され、良い評価を受けることができるはずです。

◆六五

復卦も終盤に差し掛かり、唯一の陽爻とも縁遠くなってしまい六四のようには応じられません。そうなると、もう自分自身の力で心機一転してやり直す他ありません。次の上六ではそれもできなくなるのですから、今が最後のチャンスです。もちろん、それは容易なことではありません。本人やそれに深く関わった人間(家族や仲間など)にとっては相当の重荷になっていて、ケジメを付けようにも傍目には想像を絶するような覚悟が求められます。この六五の人物は、自分の夢や信念を追うあまり周りから孤立していき、常軌を逸した生き方を始める傾向があります。そして、二重人格になってしまったのかと思うほど以前の性格とは打って変わってしまうパターンが見られます。場合によっては「ここまで堕ちたか」と思わせるくらいに人格が変貌してしまったケースもありました。身近な人間がどんなに説得しても通ぜず、元の関係には戻れないことに動揺して涙を流す人も…。また、苦肉の策か最後の手段のような行動に出ても、それが逆効果になったり、拒絶されて心には届かないこともあります。しかし今は復卦。まだ完全に闇に堕ちたわけではなく、本人の意志次第ではそこから脱却して光を取り戻す可能性は残されています。つまり、この六五は応爻も比爻もなく正位でもない状態ですが、外卦の中位ではあるため、僅かながらも心を改める余地があるわけです。本人の内面での闘いや反省、厳然とした意識の転換が求められている時です。

◆上六

とうとう復卦の最上段にまで来てしまいました。復は最初が肝心の卦なのに、この上爻では復の心のほとんどは損なわれている上に、次の无妄の「なるに任せる」流れに首を突っ込んでしまっています。復は“自らの意志”で正しい道に引き返すからこそ意義のある卦ですが、その精神を捨ててまで状況に従っていると、当然ながら悪い流れを突き進んでしまい、爻辞にあるように人災や天災にも遭うでしょうし、訴訟などの戦いに出ても勝つことなど到底できるはずもありません。打ちのめされてプライドがズタズタになるか、誤解を逆に名誉毀損で責められるか、勝手に自滅の道を辿るか…。人は感情の動物とも言われるように、理想や綺麗事だけで生きられるわけではありません。様々な欲を持ち、複雑な思いを抱えて毎日を送っています。ところが、この爻では自分の情動を表に出さず、ただ言われるがままに動く人を見かけます。自発的に無理やりセーブしているのか、過去の感情体験のトラウマから無意識的に封じ込めているのか、なんにせよ鬱積した感情は膨大な量になるため、小出しに発散している人とは比べ物にならない衝動が心に満ちています。対峙している相手に弱い部分を刺激されたり、誰かに過去の傷を掘り返されると、一気に爆発してこの人を襲い、感情の制御を奪います。そうなると内部崩壊が起きて、ショックで精神のバランスが取れなくなります。しばらく落胆状態に陥ることは確実ですが、感情を放出したことで自らの本心を自覚できる場合もあります。それを機に意識的に転換するならば、新たな人生の旅を始められるでしょう。

 

※卦意は2009-09-02にUP。爻意は2011-6-7に追加更新。


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