*火雷噬[口盍] / Biting Through


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21.火雷噬[口盍]

噬[口盍](ぜいこう/ぜいごう)は噛み砕く(砕かれる)という意味。山雷頤の中に一本、硬い骨付き肉(九四)が混じった様子としてイメージされ、噛み砕く対象=障害を九四、上下の陽爻を顎に見立てています。そのため、初九および上九は裁く・裁かれるの意味合いが強くなります。自分がどちら側になるかは、その時々によって異なります。とにかく、先の観で物事の仕組み・道理・また人々の行為を観察した結果、そこに見直すべき点、改めるべき点を見てしまい、この問題点に対して何らかの処置を施す必要性を覚えている状態です。悪癖・悪習・精神の不良化・怠慢・罪などに対する制裁・罰則・注意勧告・警鐘・法的処置・規制・戒めなどのコントロールを行う傾向が出てきます。さらに、緊急事態における果断や英断、状況に応じた即断即決を表すことも多いです。パソコンで言えば、動作不良を起こしたソフトのアンインストールやスパイウェアの除去、ウイルスの駆除といったことも噬[口盍]だと思います。

なんにせよ、甘い状況ではないし、悠長なことを言ってられない時なので、気持ちをしっかり持つ必要があります。ちなみに個人的には、厳格なまでに悪や弱さを裁断する閻魔(えんま)様を噬[口盍]のイメージに持っていたりしますが、こういうイメージ付けは読者に余計な先入観を植えつける恐れがあるので、あまり出さない方がいいかもしれません。それぞれの卦の説明の中で、僕は自分の持つイメージや象徴を例にしていますが、それは僕から見たものであって読者には通じないこともあると思います。また、適切ではないイメージを与えてしまっていることもあるでしょう。あくまで象徴やイメージは個人的なものです。読者においては、そうしたものにとらわれずに個々の経験と知恵に基づいて自分なりの方法で本質を見抜き、易に対する理解を育んでいってほしいと思います。

さて、視点反転した綜卦は山火賁。賁は飾るとか身につけるの意味です。噬[口盍]が枝の剪定のように余計な部分や邪魔なところをカットするのに対し、賁は表面を飾ることで見栄えを良くして、対外的な雰囲気を醸し出そうとする卦です。クリスマスや七夕の飾りつけのようなものです。飾ることで意味が付与される。何かをする際に、それに見合ったスタイルを決め込むことで意識を乗っけるという在り方と言えるでしょう。形から入る。他には、女性の化粧とか人としての身だしなみ、社会的なステイタスを象徴するもの――宝石・地位・名誉などで自分を立派に仕立て上げようとする心理。ファッションセンスの高い人が多いだろうと思いますが、時として奇抜さに傾く性質かもしれません。ともかく、価値の多様化を素直に受け容れられる賁と、影響力を加減するために意識的にコントロールする(される)噬[口盍]という対比ができます。

次いで陰陽反転した錯卦は水風井。井は井戸のことです。噬[口盍]が内部の障害物=邪魔者・悪者・不要と見なしたものを取り除こう(粉砕しよう)とするのに対し、井戸の水は有用かつ日々の生活に欠かせない大切なものとして尊ばれ、利用されます。錯卦は陰陽が逆ベクトルなので、心理やそれに伴う行動の方向性が背反します。噬[口盍]では排除、井では活用。しかし「中にあるもの(対象)をどう扱うか」という課題自体は同じなわけです。粉砕してコントロール化に置くか(外から内)、汲み上げて役立てるか(内から外)の違いはあってもテーマそのものは共通しています。

シンメトリー関係(対称卦)は風山漸。漸次、物事が運んでいく様を表す卦。漸は“ようやく”という意味合いなので、徐々に、段々とステップアップしてゆく卦義があります。英語ではInfiltration(浸透)とかDevelopment(発展)が当てられていますが、分かりやすくはday by day(日毎に)という表現が感覚的には近いと思います。必ずしもいい方に発展や成長するとは限らないですし。共に、立ち位置を安定させるために直面する人や状況の整理または道理を付けようとする共通項があります。この時、善悪の概念などを基準にするのが噬[口盍]で、成否(正否)を基準にするのが漸と考えると理解しやすいかもしれません。

噬[口盍]と漸は、屯・晋から19番目の卦。二巡目の「10」であり、さらには三巡目の「1」でもあります。一つの完成型としての10を、日常意識からは飛躍した精神状態で外交的に発揮していく数字。時には飛躍が“逸脱”になったり、家庭を顧みない仕事人間のように自分の意図する方向以外は見えないことにもなるかもしれません。しかし、これは自分の姿勢を明確にするステップでもあるので、適当なことはできないという意志の表れと考えていいでしょう。両卦のいずれであれ、何かに対処する際に中途半端なことをすると後で面倒なことになります。噬[口盍]では言うべきことはいい、やるべきことはやるという姿勢が必要だし、漸では段階や手順をきちんと踏んで事を進める必要性があります。多少、反発や犠牲になるものが出てくることもありますが、筋を通したいと思うはずです。

漸にしても噬[口盍]にしても、自分自身の内なる性質を象徴するため本質的にはギアの一部ですが、表面的には働きが異なります。これは他の卦も同様です。シンメトリー(対称)関係になる相手とは本質的に鏡に映った自分を思わせます。錯卦に似ていますが、単なる陰陽構造(自分とその影)ではありません。これは互いに共通する本質(体)を持ちながら、腹と背のような表裏の関係にあります。あるいは右腕と左腕のような左右、上下、前後、満欠け、向こうとコチラというような関係と言ってもいいかも知れません。

ともかく、本卦に対する錯卦・綜卦・対称卦に当たる卦は、人生における螺旋の流れの中で入れ替わり立ち代り登場しては互いの価値を確認していくような仕組みになっています。繰り返しの行為とか日常の動作として無意識的に処理されてゆく事柄を自覚し、意識的に刺激を与えると人生に変化をもたらすことができますが、この時に普段の自分(本卦)とは別の視点・発想を導入することも有効だと思います。つまり、何かに行き詰って悩み、思案に暮れている時は自分の本性を思い出すのが王道ですが、それができない時は他のやり方を模索してみるのも一つの方法だということです。全て(の卦)は関係性の中で結びつき合っていますから、最終的にはどの道を辿ろうとも目的地に辿り着けると信じてみましょう。

 

◇初九

観での自己洞察を怠って内省の精神が損なわれると、心の状態を含めた生き方全般に乱雑さが生じてきます。考え方や態度、行動が粗末なものとなれば、必然的に分別や注意力も低下します。そうなると次第に面倒事の芽が出てくることになります。噬[口盍]は障害物を噛み砕く、問題を処断する、悪を取り除くといった意味ですから、その対象となる事柄が強固になればなるほど厄介さが増します。頑なに根を張った問題ほど解決には骨が折れるものですが、この初九では幸い軽微な状態です。重大で深刻な事態を引き起こすようなトラブルを抱えているわけではありません。初九は陽位陽爻で位正しく、この時点での戒め(自己反省に限らず、他者からの忠告・指導・注意・霊感的なインスピレーションも含む)によって更生がなされれば、特に目立った禍根を残さずに済みます。また、この小さな傷跡が当人の心にブレーキ(足かせ)として働くために、今後の過失の予防にもなり得ます。未然に注意すべき点は、この初九は六二と気が合うため、誘惑に乗って「つい出来心で…」、「若気の至りで」という状況になりやすいこと。自分の知らない楽しくも危険な遊び(世界)があることを知ると、自分の欲望が刺激されて少し齧ってみたくなるのです。それが取るに足らない子供の遊びならまだしも、一度手を出したら抜けることの難しい性質の悪いものだったとしたら・・・、考えるだけでもゾッとしますね。

◆六二

自業自得の軽微な問題に対しては、初九の「自戒と抑止力」で事が収まるにしても、他者に迷惑や損害を与えてしまったら、さすがに反省文や始末書では済まなくなってきます。被害に遭った相手が気を悪くしていて、もしこれに拍車をかけるような態度を取るものなら犬猿の仲になることは確定的です。人によっては既に裁定が下った後で、親密な人との会話の中でこの話題が出て心が動揺した状態かもしれません。ただ、六二での処置(判定・裁決・罰則など)は実際には妥当なものであり、それは当の本人においても納得し、大人しく受け入れざるを得ないと思っているはずです。一般常識を弁えず、自制心を失ったがために犯した過ちならば、それは自分で責を負うべきだと考えるからです。過失や責任を否定したり頑固に抵抗することなく、従順に自ら償おうとする姿勢は、六二が下卦の中位にあって正位を得ている所以だろうと思います。ところで、今は「罪」という一般的な視点で書きましたが、物事の本質を追求していく過程で生じる障害への対処は様々な分野で見られます。学問的研究や精神的探求の最中でも、我欲との葛藤や「身から出た錆」はありますし、それが他者を巻き込んでのゴタゴタに発展してしまうケースもままあります。そうした時に、もし自分に落ち度があるならば意地を張らずに素直に謝ること、そして、いがみ合わずに済むような妥協案なり解決策を見出すことが賢明なやり方です。

◆六三

障害物(九四)の手前にあり、噛み合わせの際に最も負荷の掛かる場所にいます。内卦震の中位を外れている上に陽位陰爻で不当位と来れば、これは一筋縄ではいきません。九四と六三では九四のほうが力が強く、反抗されれば適いません。なおかつ陰陽の引き合いで、あろうことか逆に感化されそうになっています。そうした状況を原文では「毒に遭う」と表現しています。この六三の人物は自らの信条や理想論として、「相手を知り理解するためには、自らも同じ体験をしなければならない」(離=付く)と考えやすく、経験を共有してから物事の是非や良否を判断しようとします。よく言えば真剣な人ですが、そのために身を危険に曝す可能性も高いのです。場合によっては、相手に絆されて結論を翻したり、言い包められたり、分別をなくして判断不能になる恐れもあります。「虎穴に入らずんば虎児を得ず」を実践して逆に親虎に食われてしまう。その上、仮に似た体験をしても完全に分かり合えるとも限りません。一種の麻薬的な危ない橋を渡りつつ、物事の心臓部(九四)や結論(上九)へと駆け出すイメージ。周りの人間は、危なっかしくて六三の人を放っておけずに反対するでしょうが、柔弱な割に信念は強いので人の言うことはあまり聞きません。また、状況的にそうするしかないと考えることも。問題解決へのアプローチ法としてはリスクが高いので、しくじって恥をかく程度で済むならば、まだマシなほうだと思います。

◇九四

噬[口盍]の核心部分、この卦のキーとなる爻です。噬[口盍]の綜卦は賁で、この九四は賁の九三と相対する関係にあります。賁の九三は最も煌びやかな飾りで美しさを際立たせるわけですが、この噬[口盍]の九四では方向性が逆なので、バッサリ切り捨てガンガン壊して粉飾を除去することに尽力します。九四は陰位陽爻で、そもそもが異物な存在。障害物の象徴であると同時に、それを完全に粉砕する象徴でもあるという二者視点を併せ持っています。この爻は順調・不調のどちらであれ、それまでの流れを断ち切ってしまう突然のハプニングが起き、一転して世界を見る目が変わる傾向にあります。問答無用の状況の変化が、関わる人達の生活や意識の在り様までをもすっかり変えてしまうためです。それはまさに劇的な変化というべきもので、これまで抱いていた固定観念を崩壊させます。意表を突かれて驚くことは間違いなく、それが望外の喜びになる場合もあれば、思いがけず人生の儚さを痛感する場合もあります。この時期は、そうしたアクシデント的な出来事を契機として、改めて自らの考え方の修正や関係する人達との感情的交流を見直す、というテーマが埋め込まれているようです。この目的が背景にあってのイベントフラグ、または伏線。動爻して変卦すると頤で「養う」が卦義です。そこから裏読みすれば、この時この状況において当事者らに欠けている“何か”を栄養補給するために呼び出される展開、という解釈も可能かもしれません。障害や葛藤という困苦の先に、予想外の事実があなたを待っています。ブレイクスルーの時です。

◆六五

六五は外卦離の中位にあって、陽爻であるべき所に陰として存在しています。これも綜卦の賁との対比、および変卦の无妄との関係で考えてみると、賁の六二は「あごひげ」として従う図で、无妄の九五は「病気になっても薬に頼らず、自然治療に任せる」という内容です。まず、あごひげとは先輩や上司などのことで、上手く取り入って自分も一緒に動く形。薬を使わずというのは、作為をせずとも解決手段があることを示しています。で、本卦と綜卦は意味合いが反転、変卦は爻の陰陽が裏返った状態なので、この噬[口盍]の六五は、向こうから勝手に自滅(自白)または当方に従うように、あえて人為的に相手を陰から操作する、という感じになるでしょうか。君位の九五が裏で手を回し、六四の剛臣をして処断させる。実例でも、緊張する状況の中で慎重にイカサマを貫き通して相手を伸す、というケースを見ました。用意周到でズル賢い、ある意味で陰湿とも言える方法で、相手をこちらの意図する方向へと誘い出すような印象。他の例としては、動作不良を起こす原因の除去、使い勝手の悪い商品に苦情を出す、忌むべきものをカットすることで成長させたい他の箇所に力を回す、バラバラに点在するデータから必要なものだけを抽出する、状態が良くなるまで強制避難させて回復を図る等です。それらの共通点を考えてみると、表面上は正攻法で、その実は計略的に働きかけている、という構図がある気がします。

◇上九

噬[口盍]の卦義は噛み砕くこと。適切なアドバイスを受けて問題の障壁を打ち砕く、理解の妨げになっている難しい事柄を「噛み砕いて」説明する、相手の頑固な主張を解体させて妥協案を提示する等、生活の様々な場面で出てきます。しかし、そのためには前提条件として“聞く耳”を持っていなくてはなりません。注意を促し、指導を再三しているにも拘らず同じ失敗を繰り返したり、懲りずに悪事を働き続けるような人には、そうした耳がないと判断されてしまいます。そうなると仕事は当然クビになるでしょうし、悪い評判が立てば新たに働き口を得ることも困難になります。結果、自営するか誰かを頼る他に生きる道はなくなってきます。変卦が震であり個人としてはインパクトのある生き方ができますが、そもそも心を許せるだけの安心感がなく、信頼も置けない人と長く付き合いたいと思う人はいませんから、いずれ爪弾きにされる可能性は高いでしょう。上九は陰位陽爻で剛強に過ぎ、せっかくの応爻の六三にも悪い影響を与えがち、さらに傲慢なプライドが邪魔をして六五の忠告にも耳を貸しません。この上九に当たる人に求められるのは、思い上がりを捨てること、流動的な生き方を悔悟反省すること、周囲の人に感謝して心を開くことだと思います。それができれば次第に受け入れ態勢を整えてくれるでしょう。しかし、意固地になってエゴを追求すれば、自分で自分の首を閉めることになるのは必定です。


※卦意は2009-08-30にUP。爻意は2011-5-29に追加更新。


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