*地山謙 / Modesty


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15.地山謙

小畜〜大有にかけての「乾の道」を通過した後は、乾(天)という大仰な意識を小分けにして、必要なところへ振り向ける作業が始まります。その先頭バッターが謙です。この卦は64卦の中で最も易らしいとされていて、確かに謙の精神から学ぶべきことは多いです。一つの模範的もしくは理想的な人間像と言えるかも知れません。ただ、64卦のどれであれ優劣はないというのが僕の見地なので、謙を特別視したりはしていません。全ての卦は易という世界観を構成するピースの一つだからです。互いに関連し合うことで巨大な体系を作り上げている。極言すれば、何かの卦を得た時、突き詰めれば全ての卦にリンクしているのを知る、ということです。…ただ、そこまでしていたら現象を読む際に的が絞れなくなってしまうので、ここでは本卦・綜卦・裏卦・対称卦の四つを取り上げているわけですが。

元々、易は陰陽という相対概念が始原になっているので、どの卦にしても単一で意味を汲み取ることは不可能です。必ず比較される対象があり、それらとの関係性によって意味が構築されているからです。自分を認識するためには他者が必要不可欠という哲学と同じです。だから、謙にしても予という視点が反転した綜卦があり、また陰陽が反転した履という裏卦(錯卦)があり、さらにシンメトリー関係になる困があり、また今回の解説では触れてませんが、互いの片割れとして補完関係になる震があり…、とネットが張り巡らされています。もちろん、これは特徴的な関係であって、その一つ一つのリンクを拾っていけば必然的に全ての卦を網羅することになります。インターネットや僕ら自身の脳のニューロンネットワークのようなものといってもいいかも知れません。

少し話が抽象論に流れました。本題に帰って、謙についてお金を例に挙げてみようと思います。大有でのデカイ意識の下で高い買い物をした結果、必然的に控え目な生活が要求されてくるように、まずは浮かれ気味の精神を落ち着けることから始まります。「過剰な出費(摂取)は避けなければ」とか「出過ぎた行動は控えないと」という思いが反動的に湧き上がってきます。もっとも、大有で得た利潤を長期的に活用できるならば、思い切って奮発したことは負い目にはなりません。とりあえずは調子に乗って生活費を切り詰めるような事態に陥らなければ大丈夫です。今の自分に合った収支を考えましょう。

次に、謙とペアになるのは豫(予)。遠慮の心と熱意の心。謙が自分でストップをかけて生活に自制心を植えつけようとするのに対し、予では自分の先天的な資質に火をつけるように興奮を煽ってインパクトをもたせようとします。時系列的には、たとえば謙で地道に貯金して目的のものを得る、その瞬間の楽しみが予です。毎日の積み重ねの結果、現実に活用できる力に変わった状態。その前段階の謙は、上卦坤としての普通の社会生活を送りながら、下卦艮としての自律性を養っていくプロセスです。派手さはありませんが、最も堅実な生き方ではあります。野球で言うと、コツコツと安打の山を築く努力家としての謙と、期待を一身に背負って一発逆転ホームランを狙う主砲選手としての予、といった感じでしょうか。なんにせよ謙で地道に生きてきた分、周囲のバックアップを得た暁には衝動的に一大決心をしたくなるというのが予の性質です。どの卦でも綜卦は反動としての立場の逆転(意味の転倒)が起きます。

陰陽反転は履。どちらも“自己主張に気をつける”という共通項があります。履では先人の努力に敬意を払い、謙では自らの立場・状況をわきまえて行動すべしという注意が促されています。謙は自制心によって、履は示されるルールによって制限を設け、その中でうまくやりくりするわけです。履は小畜の対概念なので、留まって(足を止めて)学ぶのではなく、実践(現場)の中で先輩の足跡をなぞったり、自らの経歴を作っていこうとします。一方の謙は同人・大有期を経ている分、責任ある立場とか社会的な義務を背負っているケースが多く、基本的にストレスは大きいです。経済的にも精神的にも負担が掛かっている人も少なくないでしょう。それでも、謙が易の最良の卦とされるのは、自助努力の精神がこの卦に宿っているからです。誰に命令されるのでもなく、また制定された規則や戒律に従う以前にセルフ・コントロールする心掛けがある。これは確かに称えられるべきことだと思います。

さて、シンメトリー関係は沢水困。共に屯・晋から13番目の卦です。大有で盛大さを味わった後の慎ましさとか冷静に現実を見る必要性が問われているのが謙、一方、升で昂進した精神を冷却(クールダウン)させる働きが困。過剰な集中力や活動によって見過ごしてきたものが密かに存在を主張しはじめます。運動不足の人が急に走ったりして筋肉痛になったり、乳酸が溜まって体がだるくなるような状態です。気持ちに体が付いていかずに転んでしまうようなイメージ。これによって、今まで抱いてきた自分像とか価値観に衝撃が走り、一時ですが不安定になります。しかし、この時期の模索とか試行錯誤によって新しい生き方のビジョンが生まれてくるので無駄ではありません。後で振り返ってみると、結果的に怪我の功名になったということもままあるでしょう。失敗は成功の元、ポジティブであれネガティブであれ、全ての経験を包容する気持ちを持てると、すごく強くなれます。その状態がいつまでも続くわけではありませんが、その時だけはへこたれないで頑張れます。

◆初六

謙は人を含めた、あらゆる物事の均衡=バランスを“はかる”卦です。多ければ減らし、少なければ増す、そのコントロールを自制心を持って意識的に行うことが求められています。さて、謙の初六は陽位陰爻ですから基本的に任は重くなりやすく、また自分一人で全てをやろうとしても無理な状況にあります。これに堪えつつ事を順調に進めるには、周りの人々や仲間(上司と部下)との連携が不可欠です。いくら大有で高い資質を備えてきても、人にはそれぞれ得手不得手があるため、何から何まで自分で賄える人はまずいません。初六ではこのことを自覚した上で、要求される仕事なり役割を果たすために、ネットワーク(人脈)を駆使して各分野のエキスパートを招いたり、スタッフ間の信頼と団結力によって仕事を発展させ、完遂に持っていくと良いのです。自分の能力の及ばない事柄については、基本的な勉強をして内容を理解した上で、謙ってその道に通じている人達の力を借りるようにすれば自然と筋道が出来てくることでしょう。鉄鋼王で有名となったアンドリュー・カーネギーも当初は鉄鋼のことは何も知らなかったと言われています。しかし、自らを謙遜して知識や技術のある人々を集い労苦を共にしたことで、「大川を渡る。吉」の境地に至ったのだと思います。

◆六二

先の初六では野球の守備範囲のように、自らのカバーできる領域と他者に力添えを請うべき領域とを自覚して、意識的に個々の才能を適切な場へ向ける努力をしてきました。この六二も同じ陰爻ですが、内卦艮の中位にあって正を得ており、初六よりも一層それぞれの仕事に没入する傾向が出てきます。力の拠り所となるバックボーン、人的な深いつながり、内なる源への集中が高まり、これが様々な可能性を生み出していきます。ある人物を見た時に、その振る舞いや考え方、口調、染み付いた匂いなどから、すぐに何をしている人か、どんな性格かが察知できる場合があります。職業病もその一種でしょうが、それだけ自分の仕事に入れ込んでいる証拠とも言えます。これと同様に、その人自身を構成する重要な資質に対して心血を注ぐことで、生活のあらゆる場面・様々なものから目を見張るような啓示を読み取ることができるようになります。しかし、これは基本的に本人の関心のない事柄には反応しづらい性質があるので、没頭性が強まる分、視野が狭まってしまう恐れがあることには注意が必要です。テーマに集中すればするほど気づきや展開も生まれますが、放置せずにその時々で整理することを心がけましょう。きちんと体得できれば、九三での大役にも耐え得る準備ができてきます。

◇九三

謙卦唯一の陽爻で、内卦艮の山の頂上にいる成卦主です。正位で上六とも応じ、周囲の陰爻の信頼や助力を得られるだけのカリスマ性をも備えています。ただし、謙は「私が私が」と主張する卦ではないので、腕を揮うにしても一種の象徴や権化として働く傾向があります。エントロピーの増大によって渾沌化した状況に収拾をつけたり、集団を束ねる一つの意志の代弁者として、その責を担うケースが見られます。しかも、社会の歴史や個人史といった“時の重み”に関わりやすく、抱える苦労も並大抵のものではありません。それは自身に託される仕事の大変さを示すだけでなく、助太刀を得ている人々への期待や要求も高くなりがちなことも意味しています。例えば、拉致や失踪によって居なくなった人を探すために陣頭指揮を執る際、情報収集を始め大勢の協力者や賛同者が必要になるのと同じです。見込みのあるコネクションを有効に使う、可能性のある場所や人物に当たってみる、見落としがちな事柄にも意識を向けて気の持ち方や発想を変える…等が求められてきます。容易ならざる事態に遭遇する率が高いですが、「灯台下暗し」の諺のように意外な所に解決の糸口が隠されていることが多いです。事態が収束するには時間が掛かるかもしれませんが、最後まで諦めないことです。

◆六四

六四は上卦坤の下層域にあって九三の陽の上に乗っているだけでなく、九三をサポートする主卦・六五の側近であり、その位(役割)を全うすべくやり繰りしている人物に表されます。力のある爻に挟まれた立場であるために、人間関係の根回しやアポ取りなど、六四自らが縁の下の力持ちとなって期待に応えようとします。自分の裁量を弁えることで、出過ぎたマネだと叱責を買ったり過分なストレスで苦しむことを防げます。謙は物事の分を量り、その多寡を慮って力を分散させ、総合力によって事を成し遂げていく卦です。だから、誰か一人に重い負荷が掛かかってプレッシャーで潰れてしまう前に、適切な対策なり処置を施す必要があります。大きな仕事のためなら犠牲もやむなし、というような大義名分的な理屈は謙には通用しません。たとえ突出した才能がなくても、地道な働きで他者に貢献できると知ること、個々それぞれに役割があること、人間関係という資産によって活路を開くこと。謙における学びは偉大です。仮に大有で培われた技術や能力が優れていても、慢心や驕りによって失墜する人はいますし、期待に応えられずに煩悶する日々を送る人もいます。地位や名声、利益追求などの外的な欲に惑わされず、良識を持って与えられた本分に専心し続けることが大切です。

◆六五

本来、社会的に十分な力を持つ人は、可能な限りその富や能力を広く公のために使うことが推奨されます。これは企業の社会的責任(CSR)としての慈善活動であるかもしれないし、個人的に可能な範囲での献身かもしれません。六五は謙卦の主爻として全体を統制する地位にいますが、陽のような押しの強さとしてではなく、陰ゆえの柔軟な対応力によって社会や関わる人々の信頼を得ようとします。実働部隊としての力は九三にあるため、六五の人は現場で奮闘するよりも、社会全体に流れる需要を把握して目的となる旗を立てることを考えるとよいでしょう。世界には様々な情報が飛び交っていますが、その中から自分達の生活も守りつつ、他の人達にも貢献できそうなことを実行するためには、ただ漠然と進めるよりも特定の指向性を持たせる方が効果的です。今、世間では何が必要とされているのか、人々が共鳴してくれる活動は何か。求められることは多々あれど、一度に全てをすることはできません。まずは、どれか一つの事柄に傾注して、必要な情報や機材、そして目的に副った人材を揃えていくと良いと思います。性格的には、これと決めたら譲らない意志の強さがあり、原動力となる信念または活動の意義を見出すと、この六五の人は活躍の場を得て輝きを放ちます。

◆上六

謙の最上位である上六は位正しく九三と応じています。表舞台からは外れていますが、何かあれば“鶴の一声”で実力行使に訴え出ることも可能な立場です。もとより上爻変として次の卦を意識し始めている身であり、豫のような特色ある生き方に憧れを抱いているのかもしれません。大人版のガキ大将みたいな感じですが、いかに正位と言えど陰爻では力を誇示するのは道理ではなく、あまり大袈裟なことをして立場を追われるのも癪でしょう。緊急事態での例外措置のような場合を除き、やたら滅多に職権を乱用しないように注意しましょう。もう謙も最後なので、普段はその意義を貫徹することに心を砕くべきです。そうした心構えの上で、必要ならば大きな力を動かすのも時の流れとしては仕方ないのかな、と思います。先の大有では資質を伸ばすことに集中し、この謙では権力の扱い方を学んできました。これは自分自身が権力の座にある・なしに関係なく、上(高所)と下(低所)という双方からの視点を知る必要があるという意味です。進学によって高学年から再び低学年に変わるように、その時々の状況で立場は変わりますから、固定的に自分は低い(卑しい、存在価値がない)とか、高い(人徳、存在価値がある)などと決め付ける理由はありません。誰しも役に立つ時と特に何もできない時を経験します。全体の中で自分が今どういう位置づけにあるのか、その地図を把握することが大切なのです。


※大意は2009年8月6日に、爻意は2010年6月9日に追加更新。 


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