大有と同人は視点が反転した形で、陰爻が臣位(二)から君位(五)になっています。同人としての狭量さはなくなり、度量の大きさが備わります。内部エネルギー(資本とか色んな意味になりますが)の充実によって必要な物が揃ったり、物事をやり遂げるための気力が出てきます。この内面の活力をどう展開するかが、大有の一番の見せ場です。創造力を形にするという作業。まず自身の内にて熟成され、次いでエネルギーが飽和状態になった段階で力が形へと変貌を遂げていきます。溢れ出るまでは表面的に大きな変化は見られないかもしれませんが、内側の見えない所で充填されていれば、いずれは陽の目を見ることができるようになります。
大有は「乾の道」の最終段階なので、これまでの体験の総合演習のような状況と言えます。自分のなしてきたことを広く外へ表現してゆく機会を窺っています。これまでの乾卦の過程を経て、個としての力量や体力、精神的なゆとり、また財政的にも盛んになっていることも多いかもしれません。そういう人は、ここらでその恩恵にあやかろうという気持ちが出てきやすいです。いわゆる見返りや自分へのご褒美といったところですが、何か高級なものや豪華なもの、ずっと欲しかった物などを思い切って購入することもあるでしょう。同時にこれは、大きな浪費や散財のリスクを伴いますので、大きな買い物をした後は地山謙としての慎ましさが求められてきます。
しかし、上記の内容とはまるきり逆のケースも存在します。たとえば、子沢山なのに母子家庭で貧乏、育児費や教育費のみならず当面の生活費にも困っている、というような例です。大有にイメージされる盛大さが逆の意味で成就してしまっている。なぜかというと、大有で充填するものは何もポジティブなものばかりではないからです。人の想いや感情には当然のごとくネガティブさがあり、失敗を引き付ける考えが意識の深い部分に集積されてしまうことはよくあります。考え方や生活の仕方次第で成功や裕福さを引き付けることもあれば、失敗や貧乏を引き付けることもある。要は、何が自分の懐(潜在意識)を満たしていくかが鍵で、これによって大有のシチュエーションが各々で異なってきます。
陰陽が反転すると、水地比になります。一陰五陽と一陽五陰ではベクトルが逆です。比では親和を求め、たとえ自分が困っていても親身になって他人の世話を引き受けたりしますが、大有は自らが盛んになることに躍起になってしまい、他者に恩沢を施すことまで気が回りません。実は、これが大有の危険なトコロ(落とし穴)です。単なる利殖に走るだけの強欲さが先行してしまうと、人としての温かみが失われていき、結果的に心が荒んでいきます。利を貪るばかりでギブ&テイクにならないのです。与えることも受け取ることも等しく重要ですが、与えるばかりとか、受け取るばかりではバランスが取れなくなるのです。だから、大有の場合は、自分の資質を私利私欲のために使うのではなく、大いに他人のために役立てると良いです。それによって均衡(中庸)が保たれます。一方の比では、親しみ合うために心労を重ねやすいので、相手に尽くしたり手助けするのと同様に、自らの尊厳とか誇りを認めてもらうことも大切です。そのためには、相手を慕う気持ちと同じレベルで自分自身も愛さなくてはなりません。
大有とのシンメトリー関係は地風升(昇)。大有も升も創造力などの内的な充足が源となる卦で、その捌け口として高嶺の花をゲットしようと目するタイプです。どちらかといえば大有は物質欲が強く、升は地位・名誉欲が主体ですが、何に焦点化しているかによって現れ方は人それぞれだと思って下さい。いずれも内面のパワーを高めることで社会的なフォースを獲得しようとする卦です。問題は見栄とか虚勢を張っていると、思わぬしっぺ返しを食らうハメになることでしょうか。ところで、大有も升も知性が高い傾向があり、鋭い思考力と負けん気で現実を生き抜く力を秘めています。生活に不自由しないだけの金銭的な余裕があれば、ぜひ知的または教養的な方面を探求することをおススメします。今まで気づいていなかった意外な才能に目覚めるかもしれません。
なお、他の卦よりも上昇意欲や向上心が旺盛である反面、一人突っ走って他を省みない向きもあるので、自分のことばかりにかまけて他人を軽んじないように気をつけましょう。そうなってしまっては、せっかくの宝も持ち腐れです。良質な素材を有していても自惚れて手入れをしなければすぐにダメにしてしまいます。宝は掘り出して、そして研磨してこそ価値あるもの。謙虚さは次の地山謙のテーマですが、大有期にあって奢らずに着実さを学ぶことができたら、自分の才能をいかんなく発揮する力が付いてくるはずです。特に、こういう時期は長くは続かないものですので、与えられた貴重な境遇や時間、お金などの資源を無駄にしないよう心がけて下さい。
◇初九
大いなる所有、これはまず自分自身の“力の素”になるものを自覚することから始まります。それは主に同人の九四で芽生え、九五以降に育んできた新しい可能性と独自の価値観を携えて生きることを意味します。しかし、現状この資質は未だ世間的に広く認められてはおらず、せいぜい一部の先進的な人達や、物珍しさに惹きつけられて関心を寄せている人々に知られている程度でしょう。初九は陽位陽爻の正位として自らの内に強い意志と自信、あるいは自惚れを持っていますが、外卦(離としての社会的認知)には応じてないため、まだ大きく打って出るには及びません。そのため、内輪的な比較的狭い関係性の中で、多少もったいぶりつつ技術や資質を示すようになりやすいです。今は初爻の段階なので、自分の中では色々と煮詰めたり取り組むべき問題が山積しているでしょうが、それはなかなか他人には分からないことなので、あまり思いつめずに気楽にできることから始めると良いと思います。それと、大有は生活の資本に関わる卦ですから、お金や子ども(養育費や教育費など)とも縁が深く、時に親権問題が表示されることもあります。変な言い方ですが、子どもが自立するまでは、親は保護者・扶養者として我が子を所有する義務がある、ということなのかもしれません。
◇九二
何か重要なものを手に入れたり、いつでも発揮できるように技を会得するためには、それ相応の訓練と責任を伴います。この九二は、確固たる意志と目標(陽)を持って乾卦の中位に臨んでいる人物に象徴されます。ここでの中位とは、自分を高めるための環境とか仕事、師事すべき先生といった明確なポジションを意味し、九二はそのためのテストを課されているような状況にいます。彼/彼女が後に重要な任務を担うかどうかは、この試練を乗り越えられるか否かに掛かっています。現時点での実力(技能・資格の有無・証明書など)も評価対象ではあるでしょうが、それ以上に、人間性や決意が本気かどうかが問われています。この時、隠し事や自分でも気づいていなかったことが明らかにされる傾向があるのですが、それを嫌う場合、進展は見込めません。というのも、自分が選んだ環境下で仲間として受け入れてもらうには、既にいる人々の信頼を得る必要があるからです。心を開くのは不安なものですが、話せる事柄が増えるにつれて打ち解けていくでしょう。プライバシーは必要ですが秘密主義になることはありません。一方、今すべきことを自覚している人は、単独でも忍耐強く難関へ立ち向かいます。強靭な精神力と地力を要しますが、本人には価値が理解できているので挫折はしないでしょう。また、自分と似た境遇にある人の気持ちが分かるので、機会があれば支援も惜しまない優しさを持った人です。
◇九三
この爻は、ちょうど「Good Luck」(Alex Rovira + Fernando Trias De
Bes=著)を思わせる内容です。九三は内卦乾の最上位で正位を得ている(意志に副う場や対象がある)のですが、上九とは陽爻同士で気難しい関係です。上九は有名な天佑神助の爻ですが、それには“自助努力する者にこそ”という前提があるため、この九三は天佑を得るにふさわしい奮闘努力を自らに課さなければなりません。つまり、他人任せの中に幸福は存在しないことを自覚した上で、自分にムチ打つくらいの気持ちで目標に向けて邁進する姿勢が求められるのです。だから、大した努力もせずに甘い汁をすすろうとか利己的な気心で生きている人は、当然ながら良い結果を得ることはできません。習得したいことや獲得したいものが見つかったら、後悔しないように全力投球しましょう。本気で資格を取りたいのなら猛勉強する必要があるし、どうしても買いたいものがあるのならバイトを掛け持ちしてでもお金を稼がなくてはならないのです。この時、特定の分野を攻略するために多くのノウハウを見聞きするでしょうが、様々な言説に振り回されて時間と資金を無駄にしないように心掛けてください。自分に合ったものを見つけたら、浮気しないで一心に取り組むことが大切です。ただし、無理をし過ぎて健康を損ねたり、自分のことにかまけて周囲に迷惑をかけたりしないように気をつけましょう。
◇九四
九四は陰位陽爻の不当位であるため、九三のように打って出ることは道理に合いません。その代わり、六五を載せる土台としての役割を担うことで自分を律する術を学ぶと良い時です。常に四爻は内卦と外卦の橋渡しを請け負う部位ですから、仮に実力が高くても立場的には出過ぎたマネはできないのです。この大有の九四でも過剰な振る舞いはせずに、対外的には柔軟な姿勢を維持することが大切です。しかし一方で、内面的には最大級の蓄積(変卦=山天大畜)が期待できる時ですので、この機会に自分が進めている事柄を、「これなら大勢の人に役立つ」と確信の持てるレベルにまで高めていくと良いと思います。何か創作しているなら、その真価を認めてもらえるように丹精を込めるといいですし、逸材だと思う人(達)がいたら紹介・推挙するなど、できる範囲で後方支援してみるのもいいと思います。今は感受性が高まっているため、大概のものは何とはなしに手に入りやすいですし、気がついたら結構良い出来に仕上がっていたということもあります。ただし、それらはまだまだ発展の余地がありますから、適当なところで満足せずに、日々手塩にかけて向上させていくように心掛けましょう。こういう時の過ごし方が、将来の自分の大切な基礎になることも少なくないのです。
◆六五
大有卦唯一の陰爻で九二と応じ、上下の陽爻とも正しく比しています。それなのに陰爻ゆえの自信なさげな一面があり、最終段階にある事柄に対してもいまいちハッキリしない態度を見せがちです。しかし変卦は乾為天ですから、スケールの大きさを周囲の陽に示すことが必要です。もちろんこれは陰が陽の真似事をして虚勢を張れというのではありません。人間としての度量――群がる陽をも優しく包容してしまう器の大きさを発揮しましょう、ということです。沢山の子ども達の面倒を見る園長先生のような、厳しくも温かい心で人と接すると良いのではないかと思います。応爻の九二が、これから伸びていく有望な人物に象徴されるように、この六五もそうした人達を叱咤激励して育む側に象徴されます。そして六五をサポートする九四という諸先生方がいて、そうしたメンバーと共に将来を嘱望される人々に英才教育を施す環境が、次の上九だと考えるといいかも知れません。今は人間の例で書きましたが、これを商品や作品、現実に財や富をもたらすであろう発想や技術といった創作物に置き換えれば、さらに解釈の幅が広がります。この時期、目標を定めたら必ず最後までやり遂げましょう。達成の喜びが大きな自信となるだけでなく、仕上げたものからも多くの利益が生まれてくるからです。
◇上九
火天大有を有意義に扱うには、その人自身に乾としての充実した実力や経済力、あるいは九五などの指導者によって引き出されるべき可能性を有していることが条件です。逆に言えば、そうしたリソースがない場合、ただ空転するだけの苦しい状態に陥る危険性もあるわけです。例えば、実力にそぐわない勉強会に参加して恥をかく、収入に見合わないローンを組んで困窮する、自分の年齢を度外視したスポーツを行って体を壊すといったことです。状況は様々ですが、無理して見栄を張ったばかりに自ら労苦を背負い込んでしまうという点で共通しています。これらは冷静さや自制心があれば回避できると説かれますが、現実にはその時々の勢いに飲まれて我を忘れることもあるのが凡人の悲しい性です。上九は、その意識の中で次の地山謙を見据えていますから、驕ることなく謙虚・堅実に自助努力する者にこそ将来性があると感じるはずです。向上しようと背伸びすることそれ自体には問題はないのですが、それが行き過ぎて無理が利かなくなった場合に、陰陽が反転して憂慮に変わるという構図が大有にはあることを認識しておくべきだと思います。これを弁えた上で、その時々の自分をありのままに出すこと、そして素直な気持ちで人と接することが大切ではないかと考えます。
※大意は2009年8月5日に、爻意は2010年5月21日に追加更新。