*天火同人 / Fellowship with Men


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13.天火同人

小畜・履から始まった「乾の道」も、この同人・大有のプロセスで一段落を迎え、64卦を渡り歩くためのウォームアップが終わります。その後は、いろんな方面にバラけながら各種の経験をしてゆくことになります。

さて、この同人は共通する何かをもつ人達、いわば似たもの同士の集まりのことです。単純には、仲間意識とかチームワーク、サークル活動といった意味です。内輪で色々と悶着はあるけれど、全体としては和気藹々の雰囲気を持った卦です。「類は友を呼ぶ」、略して「類友」の象。時には家族同様の味方、時には敵、時には友人、時にはライバル、時には想い人、時には恋敵……一つの輪の中にたくさんの顔があります。先の泰・否の流れで陰陽としての始原的な人間関係を学びましたが、ここで一歩踏み込んで同類に属する対人構造を築きます。得意なこと、趣味、同業者など何らかの「縁」によって繋がった絆。多少マニアックでも、それに理解を示す人達がいれば小さくとも輪が生まれます。

自動車会社フォード・モーターの創設者であるHenry Ford(ヘンリー・フォード)氏が上手いことを言っています。「Coming together is a beginning.(人が集まってくることが始まりであり、) Keeping together is progress.(人がいっしょにいることで進歩があり、) Working together is success.(人がいっしょに働くことが成功をもたらす。)」《『上司から部下へ・親から子へ 語り継ぎたい世界の名言100』、七田眞=監修、ハイブロー武蔵+ペマ・ギャルポ=著、総合法令より》

どんなことでも一人では大きな仕事は成し得ませんし、自分だけで何から何までやりこなせる人はいません。特に同人は、共同作業によって活路が開くということを実感する卦なので、雰囲気的には独り善がりでチームワークに欠ける人物に対する不平不満が出やすいし、お互いに仕事を手伝い合うような型破りな活動スタイルになりやすいです。でも、今はその方が連帯感が生まれて楽しく過ごせるでしょう。所定の持ち場だけでなく、ある程度、他の人の穴埋めができることが条件付けられる場合もあります。

同人が自分の外側に才能ある人(乾:天)がいて、周囲の助力を得ようとするのに対し、大有は自らの内に乾としてのエネルギー(資本)を備えています。内部のパワー(創造性・財力・情報力・巧妙さ・人脈・技術など)を使って外へ打ち出す機会を窺っています。同人も大有も一陰五陽の卦ですから、一つの陰(秘めたるもの)をめぐって状況が目まぐるしく展開する傾向があります。一団結して協力したり、特定の知識や技術を共有したり、時には関係者にとっては喉から手が出るほどのメリット(人・物・権利とか)を狙って争奪戦になることもあるでしょう。

同人卦の陰陽をひっくり返すと地水師になります。師も人が群れるという意味では共通項がありますが、団体行動、それも群集とか集合体が題材なので同人とは規模が異なります。師を軍隊とすれば、同人は少数精鋭の一個小隊です。マイノリティによる苦労はある反面、まだ世間にあまり知られていないことを先鋭的に行っている優越性を感じるでしょう。「赤信号ミンナで渡れば怖くない」式の盲目的な大儀が師ならば、特定の目的に対して視野が固定(結束)化するのが同人です。個々の目指すものが割合ハッキリしているので大勢に流されにくいですが、その分、広く受け容れられるには工夫や妥協が必要になるはずです。

同人とシンメトリー関係になる卦は沢地萃です。同人は共通の趣味人などが集結することで構成される卦ですが、萃の場合は、ある環境や場所に人や動植物などが集まる・集められるという状況そのものを示します。つまり、集まる対象は何でも良く、目的が同じである必要もありません。むしろ様々な年代層とかジャンルが多彩なほうが面白さが増します。同人が専門店ならば、萃はコンビニとかデパートのようなものです。泉の湧水を飲みに来る動物たちのような情景。市役所や図書館のような公共施設、あるいは温泉街などの観光地をイメージしてもいいでしょう。基本的に誰が来ても、また誰が使ってもいいというスタイルが萃なので、同人に窺えるような偏狭さはありません。

同人も萃も、屯・晋から11番目。1としての単純な存在の割り込みではなく、社会(10)に生きる一個の人間(1)として、人々と手を携える方法を採ります。それでも1としての強引さは備えているので、自分の見解を属する環境や人々の中に押し込めようとする気質は健在です。しかし、グラウンディング(地に足の着いた生き方:10)に対する新たな試み(1)なので、結果的に既存のシステムへの反発とか新機軸を打ち出すことになるケースが多いです。自分達なりのやり方で目標達成に向かう姿勢が顕れてきます。

◇初九

同人は人と和する道。テーマは周囲の人と協力して、自分一人では成し得ない目標に向かうこと。だから、まずは自分の意志の在り処を探さなくてはなりません。それは光を求めて闇を歩くような状態に似ています。何をもって他の人達と絆や縁を結びたいのか。憧れ、夢、なりたいこと、追求したいことを見つけましょう。漠然としたままでは曖昧な未来しかやってきません。この初九は九四と不応で、いきなり広範さを求めるのは時期尚早ですが、幸い六二と比しています。家族や親しい友人、趣味で繋がった気楽な仲間といった身近な関係の人と互いの想いを話し合ってみましょう。今は、これまで単なる夢や潜在的な願望に過ぎなかった事柄が、圧倒的な情報量と共に一気に芽吹いていくような時期です。この時に見出される可能性を面白がる人もいれば、全く相手にしない人もいるはずです。実際、本筋とは関係ないこともあるでしょう。結果的に目的の何割かを取りこぼしたり、若気の至りで失敗して中途で挫折するかもしれませんが、あまり気に病むことはありません。そもそも初九の段階から成功しようというのが無理なのです。同人は絆を培っていく卦ですから、信頼関係を構築しつつ仲間として要求される実力を得るには、やはりそれなりの時間が掛かるものだからです。

◆六二

六二は中位に居て正位の身、九五とも応じ、両隣とも比です。その上、同人卦唯一の陰爻ですから陽が自然と寄ってきます。ところが物事には進展の順序があります。九五との正応を喜び勇んで自分だけが舞い上がり、身近な初九・九三を無視しては同人の理に反します。陰である六二に対する群陽は単純に異性の場合もありますが、ただ相手の優しさにすがろうとする人や同情的な縁で繋がった人だったりします。それは無私の精神を本意とする同人の志から外れたものであり、恥ずべきことです。自分にとって都合のよい人や利得絡みの関係に拘泥する保守的傾向は、相反する立場の人(派閥的なグループ)との折り合いの悪さを生み出します。また、悪縁で結びついた人との関係に悩み、なかなか縁が切れずに苦しむことも。同人には“似た趣向を持つ者でまとまる”という性質があるので、つい賛同できる人間とのみコネクションを結びがちですが、ひとたび時の流れを失したり、人々に飽きられたりすればそれまでです。一時的な寄る辺を得た時、そこに固執する意識を持った段階で面倒な想念の渦に巻き込まれてしまいます。もしこうした状況を脱したければ、関係それ自体を根底から考え直して、流れを変えるか別の流れに乗るかしなくてはなりません。

◇九三

同人卦の中腹、内卦と外卦の境目の九三は、正位(自分は見失っていない)ながらも応爻(人々との和合)なく、六二(接点のある人達)とも難しい関係で、お世辞にもうまくいっているとは言い辛い状態です。この九三は板ばさみの状況に立っていたり、ある目的を遂げるために奔走、及び重要な決断を迫られている人などを示します。九三の同人の集いは通俗性に対する反発精神、または独自の価値の推進によるものなので、どうしても尖った負荷が掛かりやすく、自分にも相手にも乗るか返るかの選択を要求しがちです。一般性に迎合せずに、自らの意志や信念を貫き通すために闘うという面があるのですが、いざという時に公算の当てが外れたり、事を進める意味を失うような状況になって無駄骨を折る傾向があります。直面している難関を打開するために本気で立ち向かうという姿勢が求められますが、いかんせん実力のない身の程知らずの状態であることから危険を伴います。運よく窮地を逃れても、結果として、大きな目標に向かうにはそれ相応の準備と日々のたゆまぬ努力が求められることを思い知るはめになるでしょう。常日頃から、自分の本質的な意志が何なのかを意識していることが重要です。いい加減な気持ちでは目標に到達するなどできないのですから。

◇九四

先の九三では、目標を落とそうと画策するも自らの力不足や相手の思わぬ攻勢に遭って決心が鈍りがちでした。九四も応ずる相手がおらず、自分自身も陰位に陽爻で不正です。この同人の時に比すべき相手も遠く、思うように和合できません。逆恨みや怨憎会苦にもなりやすい時ですが、その背景には自ら原因を作ってきた経緯があるなど、責任転嫁するには理不尽である場合も見られます。そうした不当な所業を誠意を持って反省し、これからはうまくやっていけるように調整を図ることが結果的に幸いをもたらします。現象的には、家族や仲間内(変卦は風火家人)で生じた問題に色んな人を巻き込んだり、方々を飛び回ったりしますが、これらは現状の行き詰まりを打開するためのキッカケを掴もうとしているゆえの行動です。意識の方向性が偏りがちなため、関係する人に息苦しさを与えてしまいがちです。窮屈な思いをし続けるよりも、改めて本分を振り返り、潔くやり直したほうが良い時です。一見すると逃げ腰のようですが、反面これまで見落としていたものに気がついたり、今ある恵みを再認識することができるため、むしろ本人にとっては自然な展開(必然の出来事)だったと思えるはずです。各卦の四爻では、内(上)卦と外(下)卦とを寄り合わせる作業が行われるのです。

◇九五

九三では力及ばず、九四では攻めきれないことが逆に幸いしました。この九五は同人卦唯一の陰爻である六二と応じており、九三・九四の嫉妬の対象です。そのため九五は妨害に遭ったり、様々な障壁に煩悶するようになります。もっとも、それらは比喩であって物理的な影響力とは限りません。九五の本心は九二と和して幸せを得ることですが、その九二が象徴する事柄も様々です。会いたい人、欲する物や情報、環境、内面の自由、精神的・文化的な理解など幅広く捉える必要があります。往々にして九五の試みは孤軍奮闘と言うべきもので、現在の立場や関係から離れてまで一途に自分の本懐・役割を遂げようとします。この過程で多くの葛藤や悩みに遭遇しますが、そこで問題を遠ざけることはできません。実際に確認して納得できる回答が欲しいため、あえてその中に没入することで自らの存在の根源を質したり、テーマの追求と考察を果てしなく繰り返します。自らの体験で得心するプロセスを経なければ何の解決にもならないと認識しているからです。ここでは正解を得ることが目的ではなく、投げかけられた問題を内的に消化して統合することに意義があるのです。一種の自分探しの旅ですが、事情のある人間関係や複雑な精神的背景など、テーマの重苦しさを伴うので覚悟が必要です。しかし、これによってストレスが低減すると、いつの間にか想像もしていなかった戦利品を獲ていることにも気が付きます。

◇上九

人と志を同じくする、それが天火同人の趣旨であるならば、この上九は既に機を逸している人を象徴します。性質的に、全ての上爻は次の卦を潜在的にであれ意識するので、同人の上九は火天大有を視野に入れての行動となります。大有は広い意味での所有を示し、自らの財産・資質・能力・技術といったものを求め、より具体的な目的に傾注していく卦です。なので、上九は周囲の人達と協同して事に当たるよりも、九五で苦心の末に獲得した価値観や人生観を基に、独自の経歴を創造していきたいと考え始めます。しかし、これはそれまで追求してきた同人の志とは考えを異にするため、まだ広く認知されているわけではないでしょう。その分、オリジナリティやマニアックさ、世間一般の中層意識に満足しない高い志向性が出てきやすいです。ただし、わざわざ敵を作る理由はないので、誤解を招くような振る舞いは慎みましょう。それよりも、今は次のステップのために生活のあらゆる面に目を光らせて抜かりなく清算してゆくことです。金銭面の収支や健康面への配慮、習慣的行動や悪癖の改善など、改めるべきは改めましょう。この見直しが適切に行われれば、日に日に新しい自分が滋養されていくのを感じることができるはずです。


※大意は2009年8月4日に投稿。爻意は2010年5月20日に追加更新。


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