全陰の坤(地)の時を経て、陽が陰を押し上げ始めた頃を示した卦です。
重い二陰の下に陽の兆しが顔を持ち上げた状態。ピカッと光が煌く瞬間です。
それはまるで地を震わせながら草木の芽が出てくる様子でもあります。
象徴的には、地を振るわせる「地震」も震に分類されます。
離が一条の光、蝋燭の灯火であるならば、震は一瞬の雷光。
鋭く走る閃光の刹那、耳をつんざく轟音が響きわたる。
身体を震え上がらせ萎縮するものあれば、祭事に興じて気に障らぬものあり。
・・・というところでしょうか。
この卦は、恐々として身を縮こまらせ動けずに固まっている状態と、勇気を振り絞って前進する状態との極端さがあります。
なかなか動けない状態が続いて停滞感と自虐性を生み出しますが、それに耐え切れなくなると、短気になって無謀な見切り発進をしがちなのです。
そうした短慮が結果として良かったか悪かったかは、行動後の本人の考え方(人生観)にもよるわけですが、できれば機運を捉えたスタートでありたいのが、人の心情というものです。
実のところ、きちんとした流れに乗って歩き出すためには、その前段階における作業をどれだけ達成できたかによります。
それは何かというと、過去のとらわれやしがらみを許容して解き放つことです。未来へ前進するために、綺麗さっぱり過去を洗い流す。
あるいは、悔いを残さないために、やり遂げるべきことは納得の行くまで完遂する。もう後戻りする必要がないように。
これは輪廻転生の際の第一転生者タイプのソウル・イニシャライズ(魂の初期化:生まれ変わる際に前世の記憶をなくす)と相似をなす作業ですが、それまでの記憶や思い出、障壁となっている感情などを見つめ、深く理解し、心から浄化するというプロセスが必要なのです。
これについては、特に自分と両親との関係、あるいは育ての親との関係に対する理解と洞察が大きな鍵となります。
そして、その作業を進めていくと、いつしかシンクロ的なメッセージが生活に流れ込むようになり、機運が向いてきたことを直感するのです。
または夢の中や街ゆく人々の会話の中、自然界のちょっとした現象などから、今の自分に必要なメッセージを肌で感じ取れるようになるのです。
こうした機運の流れに上手く便乗していけば少しの勇気で足りるし、過去を清算しているので恐れもなく、わだかまりもないのでスムーズに動き出せる。
そうして流れに乗れた人は、思っていた以上に楽に、自然なステップで停滞から抜け出せたことに驚くのです。
いわゆる「案ずるより生むが易し」の格言の通りです。
ただ、この“直感”というものに関しては、信頼に値するものかどうか、その真偽を確かめなければなりません。
これをせずに、ただギャンブル的に闇雲に突っ走るようなことをしていては危険です。
見る前に飛べ式の無鉄砲さは大変勇気ある行為ですが、本当に「当たって砕けて」しまったら元も子もありません。
同じような言葉に、「思い立ったが吉日」というものがあります。
何かをしようと思った時が、まさしくそれをする時だ、というものです。
確かに、そういう時もあります。
「〜〜をしなくては」とか「今、動くべきだ」といった、自分を急き立てる重要な直感を得た気がする時です。
そして、それに従った結果、目的が達成できたり、物事がスムーズに運んだということもあるでしょう。
しかし、実際には常に「思い立ったら吉日」というわけでもありません。
洋の東西を問わず各種の占いに選日法や選時法があるのは、“特定の事柄を行うには日時の吉凶がある”ことを知っているからです。
つまり、事が上手く運ぶためには、それ相応の条件が整っている必要があるのです。
そして、“真に直感が正しく作用して未来を導いた”という結果になるのは、そうした諸条件が揃っている時だけです。
このような適切なタイミングを捉えた直感には、他にする必要のあること、気になること、やり残し感、ゾワゾワとした後ろめたい気配がありません。
その上で、直感を受けたことで心がポジティブ(前向き)になり、「そうだ、そうしよう!」という思いが出ていれば、その行動は確かに幸運と結びつくでしょう。
しかし逆に、まだ不完全である、後ろめたい気持ちがある、時間が迫っている、といった“わだかまり”を心のどこかで感じているのであれば、その直感は正しいメッセージを伝えてはいません。正確に言えば、それは直感ではなく、ただの“気の焦り”や“衝動”に過ぎません。
仮に易占をしたとしても、まだ時期ではない、とか、動くべきでない、という指示が出ることでしょう。
お釈迦様は、弟子が三度同じ懇願をしたら聞き届けた、という話がありますが、それと同じように、真実のインスピレーションであれば、仮に無視したとしても繰り返しメッセージを伝えてくるものです。
もし、「今すぐにでもやらなければならない」といった焦りや切迫感、一時的な衝動を感じたならば、それは信じるに値しません。
本当の直感には、その真偽を問うだけの時間と心のゆとりが付随していることを知っておきましょう。
整理すると・・・
まず大前提として、本当に心からやりたいと感じる内容であることが第一。
そして、今行うべきだという直感(インスピレーション)が出てきた時に、それ以外に何のわだかまりも感じないこと。
また、そのインスピレーションを得た時に、心がどのように変化したかを観察すること。
肯定的になっただろうか、否定的になっただろうか。それによって、その直感が正しいかどうかの判断ができる。
これはかなり重要な内容なので、頭の片隅にでも入れて置いていただきたいと思います。
さて、人物では震は「長男」を表しており、父に継ぐ、初めの男子としての意向や権限を与えられます。
しかし、このことは同時に両親に対する正直な感情表現を抑制するといった、ネガティブな影響さえ与えることもあります。
もっとも、「長男への権限授与」というのは封建的な時代の考え方なので、ここ日本では既に古い習慣と化しています。
今では長男に限らず、どの位置の生まれであっても、親の言うことに従順だったり、期待に反するのが怖くて自己抑制的な性格を持った子供は、震の傾向を持っているか、それを強めています。
そして、理解も得られず愛情も感じられない、ただ義務と権威に押さえ込まれる状態になった人は、納得できない権威と力に反抗するか、または自らそれ以上の力を求めて暴走しがちです。
強引に喩えるならば、震卦は家や飼い主を外敵から守るための「番犬」や「防犯(警備)システム」のようなものです。
愛すべき主人に対する忠実さと素直さが、外敵や侵入者に対する警戒本能を働かせて異常や危険を知らせたり、訪問者の存在を家人に告げます。
しかし、主人に愛されず、単なる服従や抑圧を強いられ、時に虐げられる環境にあった場合、番犬も怒り猛って飼い主に牙を剥きます。
このように震に象徴される人物像は、その行動規範に“忠実さに対する心理的なとらわれ”があり、命令したりされたりすること(コントロールされること)に対する恐れを持っています。
そのため、その不安や恐れが度を越すと「窮鼠猫を咬む」的な状況になることがあるのです。酷ければ、やけを起こして一種の暴挙・暴動に出ることもしばしばです。
それが大音量でロックをかけたり、ギターをかき鳴らすといった程度なら、まだ近所迷惑で事済みますが、社会への鬱憤を晴らすための激烈な批判や暴力的な行動に出たり、迷惑をかけることを目的とした騒動や暴走行為などにストレス発散の場を求めるようになると、事態を収めるのは容易ではありません。
もっとも、こうしたことは自虐性と表裏の関係にあります。
周囲に対する恐れと疑い、誰にも認めてもらえない自分を素直に愛することができない・・・
そんな思いが募って、つい衝動的な行動に出てしまっているだけなのかもしれません。
もしそうならば、許してあげましょう。決して悪気があってしているのではないのですから。
恐らく、暴走族やシンナーなど、非行の道に走ってしまった若い人の多くは、幼年期から子供時分にかけて、温かい愛情を得られていなかったり、自分の気持ちを理解してくれる相手に出会えなかったのではないかと思います。
「単に暴力や破壊行為が好きでたまらないだけだ」というような人は、まずいないでしょう。
大人の冷めた態度に対する反抗、偽りばかりの社会に対する苛立ち、ストレスの捌け口を求めての逃避行や迷惑行為。
そうした行為の根底には、周囲の人間の無理解や無関心に端を発する険悪な批判、厄介者扱い、軽率もしくは悲観的な“白い目”・・・といった事情が内在しているケースが多いのではないでしょうか。
関係改善、問題解決のためには、適切な方向へ感情の捌け口を作ってあげることも大切ですが、それ以上に家族や友人を初め、周囲の人達が愛情を持って接し、理解しようと努める必要があると思います。
その中で、その強烈なパワーをより建設的な方向へ活かせるように、バックアップしてあげることが大切です。
多くは、仕事などの社会的貢献や家族を養う力として昇華可能だと思いますし、現にそういった事例を幾つか直に見てきています。
そうした経過を辿って落ち着いた人は、自分の中の荒々しい感情を経験したこと、さらに、それを制御した経歴を持つことになり、他の人では得られない種類の人間的な強さを備えます。
これは「怪我の功名」といっては語弊がありそうですが、ある意味で貴重な体験だったと振り返ることができるものです。
先天八卦では、震は三日月の頃。まだ陽気が動き出したばかりの時です。
新月を過ぎて3〜4日ほど経つと、夕方の西の空に細く輝く月を見ることができます。シャープで綺麗な月です。
この時、一緒に宵の明星や木星なんかが近くで光っていると、美しさも倍増します。
光り始めてやる気を出している陽気ですが、いかんせん上に被さる陰気が重くのしかかっています。
なかなか自分らしいことをさせてもらえずにイライラする時ではありますが、時は必ず光あるものに味方します。
その時が来るまでに、とにかくやれることはやっておく。それが震に求められる課題です。
占星術的な観点では、震は火星に相当するでしょう。エニアグラム対応ではType6になると思います。