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〜易経(周易)〜>坤の意味
・坤(地)
全陰の相をもつ坤は、全陽の相をもつ乾とは正反対です。
そのため、その性質も真逆に考えていけばよいことになります。
純粋な陽である乾は、天、明、精神、男性(父・夫)、強、堅固、積極(能動)、大、高(上)、尊、軽、派手、主、動、熱(暑)・・・などを基本性質とし、
純粋な陰である坤は、地、暗、肉体、女性(母・妻)、弱、柔和、消極(受動)、小、低(下)、卑、重、地味、従、静、冷(寒)・・・などを基本性質としています。
ただし、陽が強くて陰が弱いというのは絶対的ではありません。そもそも、陰陽に勝ち負けなどありませんから、「柔よく剛を制す」というように、しなやかさが強みとなり、硬さが弱みになる時もありますし、反対に大が小を圧倒する時もあります。
これらの基本性質は、あくまで相対的な関係であって必ずしも一面的には判断できません。
また、陽を男性性、陰を女性性とすることもできますが、肉体的な面を除き、今ではあまり強調されるようなことでもないと思います。
それに、肉体と精神は男女で陰陽の位相が異なるとの説もあり、男性は肉体では陽でも精神が陰となり、女性はその逆となる、というものです。
易卦にしてもそうですが、陰陽は折り重なって一つの現象を形成するわけですから、そうした考え方もまんざら間違いではないのでしょう。
二元論は、結局のところ比較されるものとの間で生じる話ですから、第三者の存在やグループ・集団といった状況では複雑化します。
つまり、「強い者」も「より強い者」との関係では陰であり、「弱い者」も「より弱い者」との関係では陽です。
このような場合では、個々の細かな比較をしたところで大した意味を持ちません。
それよりも、「全体として、今は波のどの位置にいるのか」という目測の方が大事になってきます。
つまり、全体を一つの大波として包含的に見た時に、波が上がっているのか、下がっているのか、あるいは、波の勢いが強くなっているのか、弱くなっているのか、といったレベルを推し量ることです。
人生を考える時、大運を積分とすれば、年運などは微分ということになります。大局的には上昇傾向にある時も、一時的には下降している時もあるでしょう。その辺の見極めが肝心だろうと思います。
例えば、株式市場。
私は株には興味ありませんが、ある意味では銘柄の動向は陰陽の波のようなものだということなので、易占いを株式予測の一つとして用いている人がいると言うのも分かる気がします。
なお、主としての陽と、従としての陰という見方をするならば、象徴としては、政党と国民、大企業と中小企業、親と子、飼い主とペット、権威ある者と従属する者、幹部と平社員・・・などが考えられます。
仮に、親や上司を陽とするならば子供や部下は陰となりますが、今見てきたようにこれは絶対的・固定的な関係ではありません。
フィクションではありますが、「釣りバカ日誌」の浜ちゃんとスーさんのような関係も充分にあり得るのです。
結局、どれも単純に強者と弱者という図式でないところが、陰陽の神秘的なところです。
例えば、政党は世論の大反発を食らえば無事では済みませんし、大企業の存在も中小企業なくしては成り立ちません。それは会社内においても同様で、トップや幹部連中の思惑も、社員のストライキにでも遭ったら一溜まりもないでしょう。
陰陽は共に協力し合い、それぞれの役割を認め合ってこそ、その力を存分に発揮できる。
このことを人は学んでいかなくてはならないのだと思います。
それを踏まえて特に坤に関して思うのは、親や上司など上位に立つ者(陽)に由来する心の葛藤です。
例えば子供は、少なくとも児童期までは親の背中(生き方)を見て成長していきます。
幼い頃から自立するまでの間、子供は両親の生き方に対する賛同、迎合、反発などを感じつつ、それを無意識の内に取り込んでいます。
そして、これらの感情体験に基づいて、次第に自分の行動規範を固めていくのです。
ちょっと例を挙げてみましょう。
叱られるような状況になった時、こういう言い訳(正当化)をしたら上手く回避できた、
自分に注意を向けたい時、こういう方法(行動)をとったら気がついてくれた、
自分の話を聞いて欲しい時、こういう風に言ったら周りが関心を寄せてくれた、
何かをする時に、こういう風にしたら他の人が協力してくれた、
他の人との会話や行動の中で、こういう風にしたら主導権を握れた、
・・・そうした子供時分の体験の記憶が、無意識の癖や自己保全のための防御策としても働いています。
もちろん中には、優れた対処をしたことで現在でも良い習慣となっているケース――
たとえば、歯磨きをしているところを褒められ、それが嬉しくて楽に習慣化していった、といったこともあると思いますが、それと同じか、それ以上にネガティブな影響力を持っている感情体験が無意識に根付いている恐れもあります。
こうした場合、幼少期や児童期に身についた癖や考え方を矯正していくことが求められるわけですが、何の手がかりもなしに取り掛かっても、なかなか上手くはいきません。
この時、解決の糸口となるのは、他でもない自分自身の過去の記憶と感情体験であり、また、それに携わった両親や他の大人との関係の仕方です。このことを改めて振り返って考えてみるのです。
さらに遺伝的にも、二人の親から受け継いだポジティブな資質、ネガティブな資質があり、もしかしたら先天的な病気などの障害や、特殊な体質まで遺伝されているかもしれません。
また、自分が生まれた頃の両親の精神性、心の状態、肯定・否定を問わず内在している意思、といったものまで子供に伝わります。
こうしたことを手がかりに、自分の陥りやすい悪い癖を見つめ直してみるのです。
それらが現在の自分と両親との関係に、あるいは周りの人々との関係に、どのような影響を与えているのかを考える。
ただ、これによって心は過去に由来する膿を出そうとするために、一時的な葛藤状態に入ります。
平安を旨とする坤にとって、心の葛藤は避けたいもののNo.1といってもよいほど受け入れ難いものなのですが、葛藤があるということは、問題の核心に迫っているということの逆証明でもあります。
この理解が葛藤を乗り越え、真相に踏み込む自信を持たせてくれるでしょう。
小さかった自分が大人との関係の中で演じてきた役柄は、往々にしてどんなことだったでしょうか?
よく思い出してみましょう。そしてもし、その行為の原因を見い出せれば、しめたものです。
『聖なる予言』の著者、ジェームズ・レッドフィールド氏は、その演技者タイプについて四つを挙げています。
・脅迫者:最も攻撃的な対処法
・尋問者:攻撃的な対処法
・傍観者:受動的な対処法
・被害者:最も受動的な対処法
詳細は、『聖なる予言 実践ガイド』や『聖なるヴィジョン』(共に同著者による)を参照して頂きたいと思いますが、そうした葛藤は、それに陥っている自分に気がついた時点で的確に指摘すると、自然と落ち着いていきます。
もっとも、一度や二度で完璧に葛藤が消失するとは限りませんが、この体験を何度か繰り返す内に、葛藤による心の乱れが、いつの間にか小さなものになっていることに気がつきます。
葛藤の原因となっていた体験と自分の行った対処法を認識できると、関わった相手に対する許しや侘び、そして感謝の気持ちが出てきます。
なんだかちょっと、それまでよりも高い視点から自分を見ているような感じになるのです。そうして、少しずつ葛藤(心の乱れ)に対して左右されにくくなり、最終的には完全に克服できるという思いすら生まれてきます。
人それぞれ抱えている問題、葛藤は異なりますが、そのベースとなっている背景は誰しも同じようなものです。
だからこそ、坤の性質としての同調性や和合、相手の気持ちを察する優しさ、といった意味が出てくるのだろうと思います。
さて、ここからは性格的な意味での坤を考えていこうと思います。
性格を正しく知ると言うことは、実はとても重要なことなのですが、案外に軽視されていたりします。
確かに性格を知っただけでは病気も治らないし、とたんに頭が良くなるわけでも、金持ちになれるわけでも、恋人ができるわけでもないでしょう。
しかし、「運命は性格によって作り出されている」と言われるように、性格が運命の土台的な役割を担っていることは間違いなく、そのため、自分の性格をきちんと理解することは、即ち今後の人生の展開を大いに良くしていく素地を得る、ということなのです。
逆に言えば、性格の正しい理解なくしては運命の改善・良化はあり得ません。
坤の場合は、乾の尊大さとは逆になるわけですから、事を荒立てない穏やかで平和主義的な感じが表面化してきます。純陰の性質にあるように、間を取り持ったり場を和ませる柔和さを備えています。
その分、争いごとを嫌ったり、周囲の人達の考え方や環境に流されやすい主体性に欠けた面はありますが、相手の気持ちに同化し、陰から支える理解者として、誰もがホッとするような心安らぐ存在になることができます。
ただ、問題が生じることを恐れていつも周囲に迎合してばかりいると、個としての自分の意志が失われてしまいます。何をするにしても人に尋ねるという優柔不断な態度には気をつけないといけません。
気安く誰かに相談したり、疑問や悩みを何でもかんでも聞くという姿勢は、自分で考えて解決するという大事な能力を低下させてしまいます。
何か気になることがあれば、まずは自分自身でよく考たり調べてみて、それでもダメならば専門家に相談する、という流れに切り替えましょう。
また、何か事が起きた時に「意思決定や責任問題には関わりたくない」という顔を無意識にしてしまっていないか、注意してみましょう。
特に「どんなことも周りの人に合わせていけば大丈夫」と思っている自分がいたら、要注意です。
先にも書いたように、社会の平均的な考え方は「事なかれ主義」であり、穏便さをモットーとするものです。
もちろん、私は穏便さや安全策を否定しているわけではありません。穏やかに過ぎていく日々は心を安らがせ、リラックスさせます。
それはそれで必要なことですが、そればかりでは安穏として惰性で生きてしまうことにもなりかねず、なかなか成長のための一歩を踏み出せないのです。
特に、大衆の意思、世間一般の意見というものは名ばかりで、実際のところは大きな感情の塊でしかありません。
Aと言われればAへ、Bと言われればBへと、あっちへふらふら、こっちへふらふら。
社会の中間領域でウロウロしている感情体は、まるで玩ばれる風船のように自分の意志がなく、実体がありません。
もし、あなたが世間の流行に流されるまま、自分の趣味も興味も変わっていることに気が付いたら、あるいは、他者に受け入れてもらおうとして、自分の気持ちを封じ込めてしまう癖があるとしたら、速やかに“本来の自分自身の姿とは何か”を考え、思い巡らしてみて下さい。
――誰かの意志に左右されることない、“ありのままの私”を。
相手の気持ちに同調するように、自分自身の心の声にも耳を澄まし、どんな感情が内から湧いているのか確かめるのです。
包み隠さず、自分の気持ちに正直になることが大切です。
どんな形であれ、自分の思いを表現する方法を学ぶことは、計り知れない価値があります。
最後に、先天八卦では坤は新月に象徴されています。
太陽−月−地球と直線状に並ぶ時、月の地球側は真っ暗となり、また太陽の光が強すぎて月を視認することはできません。
この時、完全に月は太陽に対して純陰となるわけです。
月の波動は、脳にある松果体(の中にあるという水銀の結晶体)に呼応すると言われています。
そして、その松果体の呼応力が最大になるのが新月の時だとされます。
感情が沈静化したり体が弛緩するのは、松果体から分泌されるメラトニンの量が多くなるためかもしれません。
月は感情体験にまつわる記憶の保存庫であり、潜在意識(無意識)とも密接に関係していると考えられていますから、リラックスした瞑想状態の中で、自身の感情に基づく記憶を辿って潜在意識へリンクすることが容易になるのだろうと思います。
反対に乾の象徴である満月の時は、内面の様々な力が高まって外側へ放出しようとしますから、内面を探る旅には適していません。
面白いところでは、「『新月や満月の時は、左右の脳の機能が一時的に逆転する』という大脳生理学的研究報告がある」そうなんですが、その論拠となるものを見聞きしたわけではないので、その信憑性は定かではありません。
占星術観点では坤は月に、エニアグラム的観点ではType9に象徴されると思います。
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