*風天小畜 / The Taming Power of the Small


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9.風天小畜

小畜には「密雲雨降らず」(雨雲は出ているが、まだ雨は降ってこない)という卦義があります。唯一の陰である六四が防波堤のような役割を果たしており、立場や見方によっては良くも悪くもなります。待たされている側からすれば、もどかしさが募ってイライラしがちですが、流れが制限される裏では別の面が生きています。交差点で信号待ちする一方で、直交する道路はスムーズに流れている。また、表面的には動けなくても「静中の動」として何らかの働きをすることはできます。小畜は、因習を踏んで実践に入る履とは対照的に、タイミング(時代の利)を捉えて活かす卦です。まだ慈雨が降って来ない(天の時を得ていない)としても、現時点でやれることは必ず見つかります。ただ小畜全般において、世間の評価が得られるのは自分が期待するよりも後になる傾向があるので焦らないことです。もともと身を引いた(状況的に引かざるを得ない)タイプですが、ひとたび良い評価を受ければ状況は好転します。

小畜は下卦が乾なので、内的な意味でのエネルギーの充足が肝心要です。これがないと、どんなに将来を有望視される人でも才能を開花させることはできません。自分自身で納得できるだけの自信と実力を備えなければ表立った行動に踏み切れない性分なので、ダラダラと生きていたら結局いつまで経っても日の目を見ることは叶わないでしょう。とにかく何か目標を見つけて、自分の持ち味として血肉化するまで取り組んでみましょう。もっとも、それなりの時間は掛かりますし必然的に視野も狭まりますが、選んだ専門分野に関してはエキスパートとして評価される可能性が高いはずです。ただ、それでも青臭さ(よく言えば若々しさ)はいつまでも残るでしょう。

一応、比までの坎の流れで、ある程度の苦悩に対する理解と耐性を得ていますが、さすがに強いストレスを受けると心身が消耗します。小畜は師・比という集団性と親和性を引きずっているために、近接した関係で互いに干渉し合う傾向があります。これが元でイザコザや対立が生じることも少なくありません。よく交通渋滞が引き合いに出されますが、普段のスムーズな状態とは違う、少し流れから外れた、または滞った状況が生じやすいのです。信号や踏切で止められるが、少し経てばまた流れ出すという場面をイメージしてもいいです。ただ、小畜の面白いところは、その小休止状態で意外な発見や展開に遭遇して、それが自分の本性とリンクする場合があるということです。単に渋滞にはまってイライラするだけならば精神的にマイナスでしかありませんが、そこで見方を変えて別の価値を見つけられれば貴重な時にもなり得るのです。比では親和や対比に終始しますが、小畜ではその先へ駆け抜けようとします。

裏卦と対称関係の卦の比較分析も大切です。小畜の裏(錯:陰陽が入れ替わった)卦は雷地予で、シンメトリーは山沢損です。雷地予の予とは予め、つまり下準備・仕込み・先天性・自己暗示・周囲の全面協力という程の意味です。イメージ的には矢を発射できる(銃のロックを解除してトリガーを引ける)状態で構えている人です。自発性があり、外交的で、人々を熱狂させやすく、まさに臨戦態勢が整っています。また、五感など身体感覚を使うタイプの才能を持っていることが多いです。小畜の引き留め・滞留状態・後天的な堆積とは逆位相ですが、“溜め”という点では共通しています。小畜は、他者の言動に泣き寝入りしやすく、内向的で、人々をイライラさせやすく、物質的な欲求が少ない傾向があります。予では陰に後押しされた陽が矢(弾丸)となって外へ飛び出していきますが、小畜では陰が心理的なプレッシャーになって陽の抑止力になっているのです。

次いで、損との関係を考えてみましょう。両方の綜卦を見ると、小畜は履と、損は益とパートナーです。損益が逆の意味であるように、小畜と履もそうです。履が先人の築いた道を踏むのに対して、小畜は自分自身で道なき道を進んで後に続く人が辿れるように道を作ります。履の道は伝統など大勢の人によって踏み固められた確固たるものですが、小畜は一陣の風が駆け抜けるだけの小路に過ぎません。しかし、それは未来に大いなる可能性を秘めているものです。象伝に「文徳(文章道徳)を磨く」とあるように、学校での勉強の得手不得手に関わらず、後天的な学習に適性があります。誰に教わることなく独学する人も多いでしょう。というのも、その方が色々な情報や考え方に触れることができるので、今までにない発想や応用を編み出しやすいからです。

ところで、蓄積という点では山天大畜も同タイプですが、小畜は上卦が巽(風)で陰の卦、大畜は艮(山)で陽の卦なので質が異なります。小畜の場合、主に精神的・知的分野で才能を開花させやすいのに対し、大畜は肉体的・実務的分野でパワーを発揮しやすいからです。それに、力を溜めるにしてもその種類がまるで違います。小畜は低反発素材のようなものなので、押し込めば緩やかに返ってきますが、一方の大畜はバネと同じで、高く飛ぶために思いきり膝を曲げている状態です。あるいはデコピンを想像してもいいですが、急激に力を溜めて一気に放出する(高反発)という原理を使っているわけです。陰爻をウェイトと考えると、二陰ある大畜の方が負荷が高い。筋トレで短期間に肉体改造するようなものですからハードです。そうしたやり方は小畜には向かないので、小さな負荷で徐々に自信と実力をつけていく方法論が必要です。大畜がパワー志向のトレーニングならば、小畜は健康志向のフィットネスということになるでしょうか。小畜は心身が緊張して硬くなりやすいので、ヨガや太極拳、気功のような内的エネルギーを調整する技術を学ぶと良いと思います。


◇初九

小畜の成卦主(卦を成り立たせている主要素)は六四で、この初九は陰陽が応じています。変爻すると巽(風)になって「伏入」の意味を持ちます。潜入捜査的な雰囲気のある爻で、上手く環境に溶け込んでは真実に詰め寄るために物事の深部にまで関わろうとします。対人関係でも相手の目から心理を読み取るかのような鋭さを持っています。初九の主な状況は、地方ルールのような特定の範囲・分野での規定とか暗黙の了解の中に入り込んで、一体何が真実なのかを探索するもので、込み入った事情の人間関係に深入りしてしまう傾向があります。ただ、たとえ真相に近い場所に身を置いたとしても、それは応爻としての関係であって、問題の当事者(六四)ではありません。実際、六四は進もうとする内卦の前に遮断機や赤信号のように立ち塞がるために除け者扱いされがちですし、内部(身内など)に根深い問題を抱え込んでいる場合も少なくありません。さらに、立場の違い実力差、または誤解から不当な扱いを受ける傾向があって村八分的な差別に遭いやすいので、六四に肩入れする初九も他の陽爻に歓迎されにくいはずです。しかし六四は卦義として正当であり、事情が何であれ善悪で判断するのは良くありません。そして、その事を味方として一番理解してあげられるのが初九だと思います。

◇九二

中位ですが九五とは不応、近隣の初九・九三とも陽同士で不比、しかも陰位に陽爻。変爻すると離になって同類(家人)ではありますが、陰陽和合の打ち解け合った状態とは異なります。むしろ、中位(自分の生き方)を堅持することで精一杯かもしれません。初九で、部外の人間が特定の環境に潜り込んで真相を掴もうとしたり、制限のある状況で重いテーマと向き合ってきました。事が事だけにその場が放つ独特の雰囲気から排斥されることもあるはずです。結果的に九二は、外の人間ゆえの客観性と洞察によって、その環境に内包されている致命的な問題点や限界性に気がつきます。ただ、それをどう処理して、どう伝えたらよいのかは考えどころです。人々の集団心理に根付いている否定的な感情とリンクした場合、それらがもたらす顛末に戦慄を覚え、警告を発して不安を煽ってしまうかもしれません。でも、それが正であれ否であれ、二律背反的な価値判断は限定的・一時的なものに過ぎず、内容もその世界に浸っている人間にしか通用しないので、口で幾ら言ってもリアル体験がない限りは真に理解してもらうのは難しいでしょう。結果、イメージを補うため、ゲーム等のバーチャルな方法論で模擬的に意味を伝える技術に長けてきやすいだろうと思います。

◇九三

陽位陽爻で正を得ていますが、上九とは不応。乾としての勢いが強く、六四のストッパーを乗り越えんばかりです。変爻すると兌(沢)で、卦象通り少女(成人前の女性)が鍵になっている例も幾つかありました。どれも現象的には女性と、そこに関係する人にとっては難しい局面ばかりです。その他の事例をみても、九二で初九の閉鎖的環境における限界と抱えている問題点に気がつき、この九三でそれらを突破しようとしています。一種の負荷実験とも言える爻です。原文では車軸と車輪の回転量における限界点を例にしていますが、どれだけの力や圧を加えたら壊れてしまうのか、その耐久性を測定したり、試して楽しむ傾向があります。それも精神的に動揺するギリギリのラインを刺激するような感じで、突拍子もない企画を実行してドッキリさせたりします。上九と連動して異性関係での意外な展開が起きる例も少なくありません。とんでもないような事をしでかす節操のないタイプで、本人のやりたい放題になりがちです。ただ、それ位のことをしないと、特定の状況や環境に浸って視野が狭まっている人を揺り動かすことなんてできないと考えているのかもしれません。情報の正確さには欠け気味ですが、周囲の人を触発するだけの知識と技を持っています。

◆六四

初九で書いたように、六四は流れを阻害するもの・常軌を逸するものとして酷評や差別、邪魔者などの不当な扱いを受ける傾向があります。ただ、それは内卦乾から見た場合の心情で、本来の六四は正位で正応、上位の九五とも正比という良い爻です。そのため六四を悪者扱いするのは理不尽なのですが、イライラが抑えられず怒鳴ってしまうこともあるでしょう。けれど、小畜の卦義(少々留められても、いずれは亨る)の通り、しばらく辛抱すれば自然と状況は改善されますから、相手に怒りをぶつけたり、敵視して反目するようなマネは極力避けるべきです。六四は小畜の成卦主で、厳しさもありますがその意味するところを最も体現できる部位です。ここで忍耐強さや許容性を発揮できなければ、周囲の更なる反感を買ってしまい、計画や才能を不意にしてしまうことにもなりかねません。小畜は現象的にはマイナスに見えることも、内面の修養という面ではプラスに働かせることのできる卦です。発想の転換によって、二面性を有効活用できることに気がつきます。目的を見失わなければ、自身の鋭い向上心に火がついて、同時にその才能と可能性の大きさを見抜き、脅威を防ぎつつサポートしてくれる人(九五)が現われるでしょう。いつしか過去の傷や憂慮も気にならなくなります。

◇九五

九二とは不応ながら中正を得ています。六四で小畜の小畜たる意義を身をもって経験したので、留められる(思うようにいかない)ことにも理解を示すことができ、そこに生じる価値も認めています。というより、むしろそうした状況を逆手に取って、一般的な生活からは得られないような感性とか思考に意味を見出すタイプです。世間的な現実感覚からは外れがちで理解されにくい人格ですが、別に良識がないわけではありません。傍目には無為に思えるような日々を過ごしていても、実はその中から未来を形成するような新しいアイデアや法則を見つけ出しているのです。ただ、実用化への筋道を付けることに難儀しており、紆余曲折を経るために時間が掛かってしまいます。それでも、九五は自分の仕事が未来の人々の役に立つということを期待し、また必ずそうなることを予感しています。それゆえに自らの権利を主張したり、必要以上に営利を求めることに戸惑いを覚え、結果的に無償もしくは格安で自分が得た成果を分け与える形を選択するでしょう。それが自分の嘘偽りのない生き方だと理解しているからです。後で周りが何と言おうと方針を撤回すべきではありません。欲に流されれば憂いをみます。おそらく社会事情に詳しい方ではないでしょうし、面倒事や責任を背負い込むのも苦手な性分でしょうから、できることなら息苦しくない範囲で、余計な野心を持たずに穏やかに生きてゆくのが良いと思います。

◇上九

押さえ留める六四から離れた場所にあって周囲の忠言は届かず、自制心さえも失いがちになっています。上九は既に小畜の総論に入っている時期なので、次の履を見据えて実践への足がかりを掴もうという状態です。そして、密雲に溜まった雨が降り始めた時、それまで辛うじて保たれていた均衡が音を立てて崩れ出します。元々、小畜は主従のような上下関係や対立構造によって成立している卦なので、ここでいわゆる下克上が起きるわけです。妻が夫を尻に敷く形。実生活における男女関係の乱れや主客転倒などの慇懃無礼な出来事が生じやすい時期です。九五で人生の脇道から見出したインスピレーションを実用化させようと苦心してきましたが、上九で本格的にその実践形態を求めるようになった、ということです。心の中で温めてきた事柄を現実世界に落とし込んで、理想を実現させようとする働き。そしてその手段として社会的身分が遥かに異なる相手に取り入り、自らの才覚や価値(研究成果など)を認めてもらおうという大仰さが出てきやすい時期です。上手くいけば夢の実現に相当近づけるかもしれませんが、失敗すれば人間関係が不安定になるのはもちろん、仕事や生活面にも修復不可能なほどの悪影響が生じる恐れがあります。そうなれば必然的に健康面にも支障が出てくるでしょう。今は自分のできる範囲のことがやれたら良しとすべきかもしれません。もし押し出すのならば反動も覚悟しておくことです。


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