*天水訟 / Conflict


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6.天水訟

この訟と需は、視点をひっくり返した対関係になっています。これは先の屯と蒙も同様ですが、64卦の流れ(序卦伝)全てが視点の反転もしくは陰陽の反転という関係性で構成されています。上になったり下になったり、陰になったり陽になったりと、まるで波のように変化していきます。易や四柱推命を学ぶと、この大波・小波の連続がまさに人生だということが明瞭に分かります。良い時もあれば悪い時もある。でも、それはその時々の結果論であって絶対的なものではありません。いつどんな経験が将来の役に立つか容易には分からないものです。易を学んでいると、どんな経験も意味も相対的なものに過ぎないと実感させられると共に、「だからこそ、どんな経験でもしておけ!」とさえ言われているような気にもなったりします。ポジティブな経験は人々を元気付けるし、ネガティブな経験もそれはそれで反面教師として教訓になるという意味では、どちらも有意義と言えるからです。

天水訟は水天需が反転したものですから、のんびり構えるタイプの卦ではありません。需では体の疲労や精神的ストレスを癒すため、余計なことをせずに十分な食事と睡眠を採り、適度に息抜き(遊び)をしておくことが第一でした。休める時にしっかり休む、それが明日の活力と英気を養うことになります。それとは逆に、訟は訴訟(訴える)という意味ですから生活圏の中での自意識や譲れないことが出てきます。出来事としても急を要したり、相手と面と向かうような状況が多いでしょう。しかも、なるべくなら早い段階で解決させたいし、傷が浅い内に手を打っておきたいと考えるはずです。特にそれが争いに関することなら、なおさらそう思うでしょう。ただ、訟は他者との争いばかりを意味するものではなく、自分自身の判断ミスや誤解、錯覚、早とちりといったことも象徴します。全ての卦が自身の内にも外にも働きます。

また、新しく就いた仕事にも慣れてきて自信が湧いてくる頃です。マニュアルを逐一確認しながら作業する時期は卒業し、少し自分流儀のやり方をしながら、周囲に対する自分のあり方を理解し始めます。ただ、快不快とか気に入る気に入らないということに敏感になっているので、他者に対して要求がましくなったりとトラブルを持ち込みやすい傾向があります。そしてそれに勝つか負けるかは、賢明で行動力のある味方に援護を頼めるかに掛かってくることが多いでしょう。

易卦の連続的展開で考えると、この訟は需にて成長してきた子供の自我・個性が表面化して自己主張を始める時期です。あれやこれやの出来事を見て、「これ何?」「あれ何?」などと一々大人に聞いてきたり、ところかまわずしゃべり続けたりします。それも会話を楽しむのではなく、ただ自分の意志を通そうとするだけです。公園の遊具で遊ぶにしてもボール遊びをするにしても、仲良く遊ぶという意識は低く、なんとか主導権を握ったり、ボールを自分のものにしようとします。我がままを通すためにおもちゃを奪い合ったり、時には相手をぶったりもしてしまいます。ここでの仲裁人は親を初めとした周囲の大人で、その判断基準は日常生活のルールとか、その行動の危険性の程度であったりします。ちなみに、すべり台の順番が守れるようになるのは、それがテーマになる次の地水師&水地比の頃からと考えていいでしょう。行動を共にしたり助け合ったりしている内に自然と友達としての結束感が生まれてきます。

一方、個の主張という感情・欲求は基本的に大人でも同じです。ただその規模や内容が変わって、より社会的になったというだけです。何らかの権利の主張しかり、所有者や責任者が誰かとか、他人がしていない個性的な表現に独自性を求めたりします。例えばファッション・センスをアピールしたり、オリジナルの作品を発表するなどです。さらにそれを自分のモノだと周囲に認めさせるために対立をも辞さない場合もあります。なんにせよ、子供も大人もその行動の背景にある基本原理は同一で、対立するどちらかが利を得てどちらかが損をする構図になってしまいます。これは訟という卦そのものの根底にある二元性が現実化した結果です。

ところで、これと同じような対立構造を持つ卦に火沢[目癸]がありますが、そちらは身近な相手との感情のもつれや日常的なイザコザを象徴しています。というのも、[目癸]は風火家人と対関係にあるからで、互いのリアクションも早く単純(直情的)な傾向があります。これに対して訟は、より普遍的な状況下での自己主張とか対立を象徴する卦なので、様々な相手との関係が想定されるし、その反応も複雑で具体的な準備や対策が必要であったりします。また、裏卦は地火明夷です。訟は個を主張することで自己表現しますが、明夷は周囲との関係を考慮して主張を控えることで自己保全します。ベクトルは異なりますが、自分の位置を見つけ出そうとしている点で鏡関係です。

◆初六

需の初九ではトラブルから離れて傍観者を決め込んでいました。しかし、この訟の初六ではそうもいきません。というのも、ここで面倒に巻き込まれているのは身内や友達、闇商売(裏取引)などの犯罪に踏み込みそうになっている子供、成果を出そうと行き急ぐ未熟な若者だったりで、自分の助けがなければ彼ら(九四)は更に危ない状況に陥ることが目に見えているからです。だから、早い段階で救い出そうと手を出すのですが、下手に秘密を共有させられたりして自分も引き込まれる傾向があります。仮に一度は「自分で解決しろ」と突き放しても、結局、相手のことが気になってつい最後まで面倒を見てしまうかもしれません。でも、それでいいのです。実力を過信して時期尚早に危ない橋を渡ろうとすれば思わぬしっぺ返しを食らうこと、またそのために周りに心配と迷惑をかけてしまうことを理解すれば、それ以後は本人も無謀な挑戦はしなくなるでしょう。初六は価値が混在・逆転する場所で活動したり、雑踏の中で誰かの足取りを追うという例があるのですが、そうした道すがらの出会いによって、一時的に脇道に逸れた行動を取ることがあります。この出来事によって自分でも意外な本能を認識して驚くかもしれません。こと女性は母性をくすぐられやすいでしょう。

◇九二

訟の根底にある自己表現衝動に駆られた初六は、危険も顧みず無謀な賭けに走ったり、思わぬ面倒に巻き込まれてしまいました。しかし、そのために恐い思いをしたり他者に迷惑をかけてしまった反省から、この九二では対外的に無理なことはしなくなります。自我が強かった人ほど、その反動として弱気になったり守りに入りやすいかもしれません。ただ、これによって無駄に相手と対立せずに、話し合いによって穏便に解決していく方法を学ぶことができます。とかく目上に対しては、正論で押し通そうとしたり頑固に意地を張ることは避けたい時期です。たとえ人として当たり前のことを言っていようと、立場の違う相手にしてみれば単なる口答えとしか受け取られなかったりします。さらに、それが原因で責任を問われたり処罰を受けることになっては後悔と憂いばかりが自分を苦しめるでしょう。今は大人しく身を引き、謝罪すべきは謝罪しましょう。そして危険地帯から離れて、いつも自分を案じてくれた人達の元に帰ることです。そこで改めて自分を振り返れば、外部のモノに頼らなくても自身の内側に良い素材が眠っていることに気がつくはずです。ただ、気持ちを切り替えるには雷雨に打たれるような刺激が必要なので、音楽を聴くなど何か自分を鼓舞できる趣味を持つといいです。

◆六三

三爻変は原理的にマッドサイエンティスト的な趣があるのですが、訟の六三でも実験的な行動を取りやすいです。ここでは童謡の「金の斧と銀の斧」を思い起こさせるような事が生じやすく、時に自分自身でそうした状況をつくり上げて人々がどう反応するかを見る側に立ったりします。社会的な貧富の差や肌の色、年齢、環境、生活方針や考え方の異なる者同士を比較しては統計を取ったり観察したりしますが、ことさら差別意識や偏見を持っているわけではなく、一人ひとりの個性や対処の違いを楽しんでいるような状態です。さて、「金と銀の斧」の童話では、きこりが本来持っていた斧よりも高価で質の良い斧が池の女神から提示されます。しかし、正直者だった男は素直に自分の斧を選択したために褒美として更に金銀の斧も得ました。一方、その話を聞いた別のきこりは、心の卑しさから故意に自分の斧を池に落としては女神に金の斧こそ自分のモノだと主張して、逆に自分の斧さえも失いました。この爻の意味合いは基本的にそれと同じだと考えていいと思います。自己主張も正当なものであれば通るかもしれませんが、それが不合理だったり偽りであれば必ず叱責を受けます。欲に目を奪われることなく、謙虚に、自分自身の分に満足して生きていくことが大切な時期です。

◇九四

九四は初六と応ですが正を得ていません。この人物は、したたかでありながら若気の至りという雰囲気です。物事の仕組みや社会の裏事情などにも比較的通じています。仲間内だけの秘密を共有させることで人心を掌握する術も知っており、小集団でのリーダー的な存在を担いやすいでしょう。そして訟らしく、価値があると思うものを流通させようとします。人との付き合い方は臨機応変で、立場や年の違う相手にも臆しない度胸があります。しかし、それが逆に生意気とも映り自ら危険を招く要因にもなるので注意が必要です。初六はそんな九四に否応なく巻き込まれ、振り回される形でドタバタ劇を演じさせられます。しかし九四は、まだ大きな仕事を成し遂げるだけの力量はなく、勢いだけで無謀なチャレンジをしがちです。レベルの違う相手との取引では門前払いされ、仮に競争しても負けてしまうでしょう。見込みはあっても色々と経験不足なのが惜しまれます。ただ、偶然にも運よく初六が助けに入ることで難を逃れられる傾向があるのは救いです。そして苦境を脱した後で、いかに自分が危ない橋を渡っていたのかが分かると恐ろしくなって体が震えるかもしれません。しかしそれで今の実力を自覚できれば、将来への大きな布石として役立てられるようになるでしょう。

◇九五

九五は上卦乾における中位であり、かつ正を得ています。かなり信頼のおける相談相手(取引・交渉・弁護を取り計らう人)とみていいでしょう。九二とは陽同士で応じてませんが、討議相手がいない方が行動が迅速になる面もあるので、それはそれでいいのでしょう。この爻に相当する人物は相当のやり手です。人によっては勝気で押しが強い性格かもしれませんが、明確な成果を挙げるために、皆の意思を一つにして団結力をもって問題に対処してゆく能力はズバ抜けています。部下やスタッフ等の仲間に対する献身意欲も高く、当然ながら周囲からの信頼も厚いものがあるでしょう。日常生活の困り事から比較的大きなトラブルまで、上手く相談者(複数および集団が多いはず)の訴えをまとめ上げ、それを証拠や陳述書として提示、裏づけを取った上で交渉に当たります。ただ、天水訟は争いを示す卦ではありますが、そうかといって完膚なきまでに相手を踏み倒すようなやり方を良しとはしていません。易経は陰陽を基礎とするものなので、どちらか一方の極を突き詰めれば他方の極に飛び出ます。つまり「過ぎたるは及ばざるが如し」ということです。行き過ぎれば後悔するのが世の理ですから、幾許かは相手の心中も察してあげなくては「大人」とは言えないのでしょう。

◇上九

優秀な九五の働きによって、どうやらこちらの訴えが通ったようです。しかし、それはどんな意味を持った「勝利」なのでしょうか? そもそもここでの「勝ち負け」とは一体何を基準にしているのでしょうか。いかなる物事も、その時々の結果とは別に長期的・大局的な観点から判断されるべき意義が存在します。上九は、そうした一過性ではない多面的な角度からの判断も重要だということを教えています。上爻変は次の卦の影響が流入し始める時期であり、訟の場合は師(地水師=集団活動、戦争も含む)の因が生まれる場所ですが、まさにピッタリの事例がアメリカ主導で行われた対イラク戦争です。アメリカ大統領の名の元に全世界の国々に賛同と協力が呼びかけられ、多くの軍隊と殺戮兵器が投入されたあの戦争に一体どんな大義や目的があったのでしょうか。そして、あの戦いの実相と結果、さらに今も戦禍としてイラク国民や各国にもたらし続けている影響は何なのか…。そうした総合的な視点で判断されるべき内容について問いかけよ、というのが上九の本質だろうと思います。もちろん、これは「争い」や「戦い」に関する出来事に限定されません。一般人の日常的問題についても、短期的に求める内容と長期的展望の両方を考慮する必要があることを暗に述べています。


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