*水天需 / Waiting


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5.水天需

まず乾坤という男女があり、互いの急激な感情の高まりを経て陰陽和合へ(…妙な表現だ)。そして屯で受精(精子と卵子の衝突)・着床がなされた後、母親の胎内で期待や不安と共に育まれ、陣痛の苦しみを乗り越えて赤ちゃんが誕生します。その後、蒙で成長して歩けるようになると、あちこち動き回っては「ダメ」「危ない」等と言われながら次第に生活のルールを身につけていきます。そうしてまだ危なっかしいながらも、この需に入る頃には自制心が養われてきます。自己表現のステージに上がる前の出番待ちの時です。

水天需は上卦坎・下卦乾という構造ですから、屯の時と似て未だ外部との関係性に険難があります。ただ屯と違うのは内部の潜在エネルギーを大きく養っている状態であり、屯の震のようにその時々の勢いで衝動的に駆け出すような無鉄砲さはありません。これは下卦に乾を持つほかの卦でも基本的には同じです。震が一時的な充電・燃料でも走り出す(瞬間的な爆発力は大きいが刹那的)のに対して、乾はフルチャージするまで待ってからパワー全開で活動し始めるのです。だからその分、腰が重くて力が満ちるまでは主だった働きを見せないこともありますが、いざ才能が開花した時は蓄積が大きいだけに周囲への影響力も目を見張るほど壮大です。その上、適切な表現の場を見出したとなれば、まさに鬼に金棒状態でしょう。

山水蒙までは深い霧が立ち込めたような先行き不透明な状態でした。これは、まだ生活に必要な知恵が身についていないということを意味しています。また、子供であれば体や心の成長を待たなければならない状態でもあります。そうした理由から蒙の次に需が置かれているのですが、今度も上卦が坎(水・穴)です。家の外には川や水路、大きな水溜り、凸凹道や段差などの障害物が沢山あります。まだよちよち歩きの状態では泳ぐことはおろか、ちょっとした高低差でも険しさを覚えることでしょう。実際には、もう少し成長すれば自然と乗り越えられるようになるのですから、あまり早い時期に危険を冒してまで無謀な挑戦をする(させる)必要はありません。しかしトレーニングは重要です。易しいところから始めて段々にできる範囲を広げていきましょう。そうして実力が備わって自信が付いたら、難関にチャレンジしたり余裕綽々と越えて行けば良いのです。

需とは須(すべから)くとも解されますが、どちらも「待つ・求むる」の意味です。待つ理由はタイミングが重要だからですが、この卦を得たら時が満ちるまでは不用意に走り出さないようにしましょう。今は屯の時のような差し迫った始動期ではありませんから、「待てば海路の日和あり」の気構えで、成長を待ってから洋々たる気持ちで進むくらいがちょうどいいでしょう。

また、「飲食宴楽」という文が象伝にあります。勉強であれ仕事であれ、いつもいつも気を張っていては身が持ちません。ことに頑張り過ぎたり、ゲームなどで夜更かししていれば疲れは翌日に持ち越されてしまいます。この卦は日々の生活の規則的なリズムを作ることの大切さも教えています。肉体的・精神的にキツイ日常を送っている人ほど「快食・快便・快浴・快眠」をモットーにしましょう。人間関係のストレスはともかく、身体の疲れだけでもその日の内に取り去っておけば無駄に苦しまなくて済みます。特に、仕事に就いて間もない頃で筋肉痛や体力不足に悩まされているなら、要求される基礎体力と耐久性が身に付くまでは、そうした生活方針が是非とも必要です。個人的な欲望追求を控えて、意識的に心身の回復と温存・滋養強壮に努めましょう。しかし一時的な贅沢ではなく、あくまで継続できる範囲で英気を養うようにすべきです。

裏卦は火地晋で、対称関係は風火家人です。需と晋は成長意欲をどう処理するかが共通テーマです。需では「進むばかりでなく休むことも大切だ」と言い、晋は「休んでばかりもいられない。前進あるのみだ」という姿勢です。どちらもその時々で有用ですが、一方に偏ればバランスが崩れて問題が生じます。次いで、需と家人は安定を確立しようという点でシンメトリーです。それが個としてのアイデンティティなのか、家族や仲間としての協調性なのかというスタイルは異なりますが、通じ合うものがあります。


◇初九

初九は上卦の坎(険阻)に最も遠い位置にいますので、原文では「郊外=水辺から離れた場所で待つ」と謳っています。今はトラブルから離れて客観的な視点で理性的に振舞う時です。冒険心を出すのは、きちんと自己管理して用意を整えてから。体調や生活が乱れていては何事も上手く行きません。もし本来の自分と明らかに違うことに気がついたら、とにかく原点回帰。初心を思い起こしてリトレーニングに励みましょう。目に見える結果を出すことが大事です。自己再生して心身がスッキリすれば、前途が拓けたように思えるし、やる気も出てきます。人間関係では立場の違いで分かり合うことが難しく複雑な想いですが、自然な展開の中でお互いの気持ちを素直に伝え合えたら希望も出てきます。ただ、どんなに頑張っても埋まらない差(溝)を感じるケースも多いので、比較すること自体に固執しないようにしましょう。卑屈になるよりも自分のできることに意識的に取り組んだ方がずっといい筈です。得意分野を思い起こして才能を活かせそうな場を探すことです。あと、たまには休暇をとって意識的に慌しい日常から離れてみましょう。精神・身体ともにリフレッシュすれば意欲も回復します。しかし休みにも関わらず他人の世話を焼くなど、わざわざ面倒に首を突っ込みがちです。

◇九二

需卦の中位ですが、九二だけが正を得ていません。ただ二・五爻の場合、原則的には正否よりも中庸に重きを置くため、中(総体的な調和<全体とのシンクロ>・バランス感)を保っていれば困ったことが起きても最終的には事なきを得るでしょう。ただし先の初九よりも一歩坎険に近づいている分、何か問題があれば早めに解決しなければなりません。需の場合それは坎から遠ざかることを意味するので、必然的に初九へ向かいます。初九のポイントは原点回帰で、ある意味パソコンのOSを再インストールするようなものでした。普段は見えないシステムファイル(無意識)が活躍する時です。これ以上動作が不安定にならない内にリセットして構築し直す。その際の手順とバックアップには細心の注意が必要ですが、落ち着いてやれば大丈夫です。日常的には、周囲の状況や仕事に対して普段よりも多くの集中力を求められやすく、それなりに神経が擦り減ります。製品検査や機械整備、データ管理、貴重品の保管のような少しの見落としも許されない内容であることが多いでしょう。でも、その働きのお陰で恩恵を得る人もいるはずですからテキトーに終わらせようとはしないことです。きちんとこなせば、今後同じような事態になった場合にも対処できる自信(経験値)が得られるでしょう。

◇九三

好奇心か野次馬根性か怖いもの見たさか、坎卦が目前に見える位置にまでやってきました。この爻は下卦三陽としての仲間やチーム編成に関係するのですが、その向かう対象は上六に象徴される特定の人物です。有力な人材が他所に引き抜かれてチームが弱体化したり、退っ引きならない事情があって本人の意志が仲間の元に戻ることに消極的だったりします。それは対立する相手にとっては一つの戦略であり罠であったりしますが、当然、乾である三陽は結束して上六の説得に掛かります。一方、上六は上六で歯がゆい立場に立たされていることもあり、あまり周囲の人の声に乗り気でないもしれません。自己主張も婉曲的です。関係修復が上手くゆく時もあれば、どんなにアプローチしても聞き届けられない時もあります。さらに上六が復帰不能だからといって落胆している暇はなく、残された人々の長所や特性を活かして戦力を強化してゆく必要に迫られるでしょう。この九三は坎卦の直前で(原文では「泥地」)危険すれすれです。現象としては存亡に関わるような窮地に立たされる例も見られ、その境界線で敵味方の思惑・概念が交錯する傾向があります。そうした中で、本来あるべき姿が何なのか、自分に最も適している環境・生き方が何なのかを考えることになるでしょう。

◆六四

とうとう上卦坎に踏み込んでしまいました。原文に言う「血に待つ」場所で、危険を知らせる警報機が鳴り響いています。今の生活なり仕事が続行可能かどうかの進退問題に直面していることが多いでしょう。しかし、今となってはどうあがいても自分の城を守ることはできそうになく、今後を思うと途方に暮れがちです。大抵は、苦渋の決断で別の環境に向かわざるを得ないという状況になりやすいでしょう。個人商店や大型ショッピングモールに取り込まれたり、小規模の会社が大企業に買収されてしまうのに似た状態です。闘うにしても力量が違いすぎて端から勝負になりません。愛着のあった大切なものを失ったり、仲間と散り散りになって孤独の中でもがくという寒々しい経験をするかもしれません。ただ、最後の締め括りをきちんとできたら気持ちの区切りもつけやすくなります。閉店セールをして恩返しをしましょう。その後、自分一人ではどうしたらいいのか判断できなくなっている時に、中正を得ている九五のアドバイスや援助の手が先行きの不安を拭ってくれることでしょう。心を開いて素直になりましょう。せっかくの助け舟を無駄にしないように、これまで培ってきた経験の意義や自分自身の長所・短所を理解しておくと良いです。もう後には引けない時期に来ています。

◇九五

外部の影響でやむなく生活を変えざるを得なくなった六四は、寄る辺を失って独力で奮闘努力してみるも思うようには事態は好転せず、進退の決断を迫られました。そんな時、お節介焼きの九五が馳せ参じます。それはかつての親友か遠く離れた親族か、あるいは恋人や仕事で知り合った年上の人かもしれません。とにかく自分にとっての大切な人だという意識の下、相手の危機を救うために尽力しようとします。昔の環境や懐かしい人々が忘れられず、思い出を大切にする時期です。新生活に入っていても、しばしばかつてのスタイルに想いを馳せます。何か、それ相応の意義があるのでしょう。この爻では現象として濡れ衣を着せられる(犯人扱いされる)ケースが主としてあり、それを晴らすために力を貸すという傾向があります。基本的に頼れる存在なので最終的には任せて良かったと思えるでしょう。ただ、人情や保護意識が強いあまり、時に頼まれもしないのに手出ししたり、直談判のような思わぬ行動に出るなど逆に周りがハラハラすることもあるかもしれません。本人に悪気はないので寛容であって下さい。また、もし自分が助ける側に立ったなら状況に過剰反応しないように少し冷静になりましょう。直情的にならないほうが結果的には上手くいきやすいはずです。

◆上六

坎(穴)に深入りし過ぎた問題の渦中にある人物を示します。因縁が絡んだ複雑な事情のある人間関係にはまり込んでいたり、多重トラップの解除に当たるような面倒を抱え込んでいる状態です。それでも応爻の九三は初九・九二の仲間を引き連れ、声を張り上げて助けにやって来ます。乾の意志は強大ですから、かなり主張も押し付けがましくなりがちですが、それくらいの気概がないと上六を救うことはできないのかもしれません。ただ、当事者の上六は自分が仲間を裏切ったり迷惑を掛けてしまったことを悔いており、この期に及んでも自分のために苦労を背負い込もうとする皆に合わせる顔がないと思っています。さらに上爻変としての性質で次の卦(訟)への予兆も流れ込んでおり、争いの根本原因である自分はもう皆の元へは帰れないと感じています。しかし、この派手な救出体験によって連帯意識とか絆が証明されるため、根強かった精神的なとらわれも効力を失い、以後は感情がブレなくなります。新しい地平を得たように感じ、他の人が同じような事態に陥った場合にも、この体験を有意義に話すことができるようになるでしょう。「こんな自分でも大切な存在だと言い張ってくれる人達がいてくれる」という喜びが、この人の生を支えているといっても過言ではありません。


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