*火沢[目癸] / Opposition


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38.火沢[目癸]

[目癸]は反目・仲違い・不和・確執・イザコザというような意味合いの卦です。相手の目を見て話せない、顔も見たくないし声も聞きたくない、視線を合わせたくない、同じ扱いを受けたくない、同じ場にいたくない等。家人が、顔を向かい合わせて意見を述べたり食事をする情景だとすると、[目癸]は、周囲に背を向けて一人で本を読んだり食事をするようなものです。関わるのが面倒だとか、反りが合わないからと理由は様々でしょうが、相手や人々との関係で不協和音が生じてしまうため、結果的に孤立化したり反発してしまう状態です。意見が衝突して平行線を辿る傾向。誰かを皮肉ったり批判する性質も出やすいので言動には注意が必要です。

卦象のイメージとしては、離も兌も陰(女性)の卦ですから、姉と妹が口げんかでもしているような感じです。同じ家族・血縁・一族として協調(シンクロ)し、和合することで力を結集させた家人とは対照的です。しかし、実際にはこれは家人の影の性質が表面化したものとも言えます。少なからず閉鎖性を持つ家人は異質さを良しとしません。そのため容認できない考え方をする者には厳しく当たりがちです。外部に漏れないように行動を制限したり、集団としての価値観を押し付けて均整をとろうとしたり、それらが適わなければ排斥(勘当)したり…。

ところが、満場一致で全員が賛同しなければ事が進まないシステムには必ず破綻が訪れます。異なる意見や価値観を排除し、自分達の都合の良い情報だけを認めるようなやり方をしていれば、いずれ内部崩壊するか、外部からの強烈な批判を浴びて身が立たなくなるからです。端的に言えば、内部でのチェックが働かなければ、水が澱むように腐敗し、機能不全に陥ってしまう恐れがあるということです。その点で、この[目癸]は、政治における与党と野党のように見解の相違をぶつけ合うことに意義が出てきます。タイプの異なる人、生活スタイルや世代、信条の違う相手と関わることで、それぞれの長所と短所を見たり、担っている役割・苦労に対する理解も育まれてきます。

裏卦は水山蹇。蹇は足が不自由な人の譬え。眼前には海(坎)、これ以上は進めず止(艮)まる他ないという状況。救援を得るか、動ける状態になるまで大人しくしている時。[目癸]には対立するものを寄り合わせることで活路を見出す使い方ができますが、多様性を拒否し、自分の意を無理に押し通そうとすると、味方を失うばかりか反目して孤立無援となってしまいます。そして、孤軍奮闘も空しく壁に突き当たっては打ちのめされてしまう。これが蹇の状態です。そこで、一人ではどうしようもない現実に直面すると改めて人と手を取って生きることの大切さを痛感し、次の雷水解へと繋がっていきます。[目癸]には口論しても、まだ「身内(仲間)だから」ということで決別するほどの衝突は少ないですが、蹇では周りに頼ることはできず、運よくレスキューされることを願うか、自ら妥協して他の人に歩み寄ることが求められてきます。

類似関係は天水訟。訟は争い・主張の交錯・自我の張り合いを象徴する卦です。家人や需で同化したり順応しようとした対象から、一人の個性ある人間として自己表現をしたい欲求が芽を出します。属する環境、関わる人達の中で自我を発揮するプロセス。縁や絆を確認するための愛憎ドラマと言ってもいいかもしれません。世間体を守る表向きの身繕いと内面での本心との葛藤に悩む傾向があります。[目癸]も訟も反発するものとの関係が焦点化されており、お互いの意思表明が繰り出される状況を述べています。そこで排斥し合うか、折れて一方に与するか、示談で双方が合意できる方法を探るか。いずれにせよ、そうする中で自分としての生き方の地盤作りを行っている段階です。

ちなみに、[目癸]は大過を補完関係に持っているので、相手と異なる主張をぶつけ合うにも限度がある、ということが示されています。大過は「家の柱が荷重に耐えられなくなっている状態」を意味する卦ですから、結果的に荷を減らすか、柱を補強する必要が生じます。補強するのが手っ取り早いですが、それ以前に負担を減らすことも大切です。荷とは、自分や相手にとっての負荷となるもの。過度なプレッシャー、執拗な責任の追及、相手の人間性の批判・・・そうしたことを続けていれば、どちらも消耗してしまうし、将来性が損なわれます。[目癸]にしても、同質・異質で延々といがみ合っていても仕方ありません。自分にない要素に理解を示し、お互いを認め合うことが必要だと思います。

<爻意は後日、追加更新します。>


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