*天雷无妄 / Innocence


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25.天雷无妄

天雷无妄と地雷復、内卦は共通していますが外卦は正反対です。復が坤(地)の母と震(雷)の息子であったのに対し、无妄では乾(天)の父になっています。慈しみながら陽気という子供を育む母に対し、手本を示ながら厳しく躾ける父。復では息子が躓いても受容的に接してきましたが、无妄では既に生き方(天の道理)が示されており、そこから外れることは災いを招きます。また、この両卦は地天泰によって繋がれており、天地陰陽の気の巡りが意味のベースにあります。つまり自然な対流を是とし、意図的な撹拌は否というわけです。震には先天八卦の性質として乾(全陽)に向かう働きがある一方、金剋木の相克原理で乾の意に副うように忠実に動いたり、逆にそれを嫌がって反発する働きも併せ持っています。この反発心が无妄では戒められているとも考えられます。

无妄は、妄(みだ)りに事を行わない、人工的な作為を施さないという意味です。上卦乾の働きに従って動け(下卦震)と諭している卦で、教訓風に言えば「天道(自然の流れ)に逆らうな」。いわば、余計な事・誤解を生むようなこと・自分勝手なことをするな、という注意書きです。地雷復で再起したものの、まだ白紙状態であるために何をしていけば良いのかが明確になっていない状態。PCで言えば、OS(オペレーションシステム)を初期化して再セットアップしているような感じです。レジストリをいじくっている時にむやみやたらなことをすれば不具合の原因になります。今は手堅くマニュアル(外卦乾)に添って歩を進めるべきであり、内卦震の衝動で短慮を起こさないように気をつけなくてはなりません。自分の欲求に合うものや必要なものを備えていくのは次の大畜になってからだと自分に言い聞かせましょう。

无妄の綜卦である大畜は、独自の資質を鍛えることで才能として開花させようとする姿勢を表しています。トレーニングを重ねて現実を生き抜く実力や耐性を身につけることで、生活に精神的な余裕(図太さ)をもたらすことができます。これは自分本位な行動を忌む、もしくは戒める无妄とは視点が反対です。とにかく、まずは无妄で秩序立てて誤りなく物事を進めることが先決です。これによって初期状態にした後で、思う存分、自分好みにカスタマイズしてゆけば良いのですから。无妄における開墾&耕作(規定作業)があってこその作物だと理解しましょう。

次いで裏卦は升。冷静さを保ちつつ周囲の熱気をつむじ風のように巻き込み、上昇気流のごとく一気に飛躍しようとする卦。これに対して、无妄はやるべきことを淡々とこなすことに集中するよう促している卦です。淡白な作業に面白味を見出すことは難しいかもしれませんが、今後のステップアップのためにはどうしても必要な工程であり、決して疎かにはできません。乾という強く大きな存在の指令に行動が左右される无妄と、地中の養分を吸い上げ、あるいは周りに押し上げられるように成長する升という対比。どちらも垂直成分ですが、无妄は上から下(外から内)、升は下から上(内から外)へと作用するという違いが読み取れます。

シンメトリー関係は巽です。巽は風として、あらゆる場所に吹き込んでは、また別の場所に流れてゆく性質があります。フリーエージェント(プロスポーツなどにおける自由契約者のこと。一定の組織に雇われない個人または小グループの仕事請負人)やフリーター、はたまた気分の赴くままに生きる猫のようなイメージと言ってもいいかもしれません。特定の環境・行動半径に固定されない存在。好きな時に、好きな場所で、好きな事をしていたい性質。…ですが、自らの意思や考え方に芯のない状態になる場合も多く、簡単に他者の思惑に与してしまったり、責任や義務に縛られることを嫌悪するあまり、怠け心が出てくる傾向もあります。

鏡面関係である无妄と巽では性質が逆ですが、その実、底辺に流れる基本テーマは同一です。无妄は屯から、巽は晋から23番目で、かつ3巡目の5。5は自分の行動半径を広げるために他者とコミュニケーションを図ろうとする数ですが、1巡目の5では外向的に、2巡目の14では内向的に、そして3巡目の23では再び外向的に活動を展開します。20の地上的全体性(特定の社会とか国に留まらない性質)を包含した上で、ピークにある21の能動性と22の受動性をバランスよく配分することに精力を傾けますが、それには知識だけとか想像の中だけでは実現できないので、心身を丸ごと環境に投じる格好になります。もっとも、外的な理由から否応なく各地を点々とすることもあれば、自分の意志でそうするケースもあり、どちらになるかは状況によりますが。

无妄は剥と復で落日と再生を味わった後であり、一方の巽は豊と旅で盛大さと祭りの後の虚無感を味わった後です。片方のスイッチがONになってそれが過剰になれば、もう片方ではオーバーヒートしないように保護機能が働いてOFFになります。この二極的な切り替えが起きるのは、復・无妄を補完する損・益、そして旅・巽を補完する小畜・履です。ちょうど上弦と下弦の半月(90度のアスペクト)に象徴されますが、積極性と消極性、上下の限界値の狭間にある理想的な調和状態を探しながら環境に馴染んでいこうとします。両卦とも、生き方のバランスを計るという点で自分の意志の在り方が問題となっています。そして、もしここで適切な関係性を発見できたら、どこへ行っても順応可能な自由性と融通さを獲得することになるでしょう。

ところが、この二極性が上手く機能していないと不活性な状態になって流通性が損なわれてしまいます。体を流れる血液や気エネルギーが澱んでしまうと言ってもいいかもしれません。こうなると代謝が悪くなって生活に必要な変化が起きなくなります。それはまさに小畜での交通渋滞のように、どこかで生じたわずかな停滞を皮切りに積もり積もって大きな渋滞を生み出してしまうのです。もしそうなってしまった場合は、次の大畜において、その補完関係にある解に意識を合わせて滞留を解消しなくてはなりません。


◇初九

復の外卦坤が反転して内卦となり、そこに一陽が生じて震になりました。今はまだ赤ん坊で三日月のように細い光です。先天八卦では震は次第に光量を増していき(離)、兌の上弦の月となり、乾の満月に向かいます。今は大いなる乾天を目標とする無垢な心に満ちている状態なので、その意味では成卦主です。元来気ままな人ですが、目標が定まれば訓練コースに通ったりして必要な資質や能力を伸ばすことを厭いません。ただし、初九は正位ですが、まだ十分な実力を備えておらず、応ずべき九四の力に圧倒されています。無鉄砲に反抗すれば叩きのめされるか、厳しく指導されるでしょう。綜卦の大畜上九とは立場も視点も逆なのです。幸い六二とは正比なので、初九に実力が付いてくれば六二を教導するような働きもできると思います。もっとも、外卦乾がそもそもの目標なので、初九自身の信念(座右の銘)自体、九四の受け売りになるかもしれません。しかしそれはそれで今の初九にとっては有意義なものでしょう。なお、无妄の互卦は漸ですが初九はまだそこに絡んでないため、漸としての“プロセス全体に寄与する形で着実に物事を進める作用”は意識には上ってきていません。目指すものが見つからない間は、定職や特定の役回りに収まらない生き方をしやすい人ですが、見出せれば自分の生活全てをそこに向けて整えていけるので、自分の本来的な性質を生かせる適切な場なり、追いつき追い越したい(または肩を並べたい)と思う人物を探すと良いのではないでしょうか。

◆六二

六二は正位で正応と正比を持ち、何より内卦の中位。まさに柔順中正と言うに相応しい部位です。にもかかわらず、ここでは厳しい状勢に立たされていることが多いです。どうしてもやらなくてはならない責務を抱え込んでいたり、難癖をつけられて罠にはめられたり、優位に立つ側の都合で理不尽な要求を突きつけられたり、九五との関係か治療困難な難病に苦しんでいたり、自分の存在意義や立脚点を失いそうになっていたり…。もっとも寒い状況ばかりではないのですが、面倒をみなくてはならない年の離れた相手(親や子など)との関係、あるいは本体と影のように立場が違う相手との関係がクローズアップされやすい共通点があります。そうした関係の中で六二の人の本性、特に震(雷)として発露されやすい衝動性が適切な感情に変換されなくてはなりません。納得できなくて反抗的な態度を取ってしまいがちですが、无妄においては禁物です。個人的な損得勘定や野心の及ばない道理が状況全体を取り巻いているからです。今は「何を失ったとしても、自分自身の根幹は保たれている」と自らを諭しましょう。柔順中正の徳を発揮して私心を排し、淡々と今すべき仕事をこなすことが大事です。これまで築き上げた成果や出来合いのものにとらわれず、また、私欲・私情にしがみ付くのは止めて、新たに湧き出してくる新鮮な展開に心を開きましょう。その時から、この人の独自の運命(生き方・考え方・方法論)がスタートしていきます。

◆六三

陽位陰爻で位当たらず、中も外れています。内卦震の上段にあって最もぐらつき易い不安定な場所です。予想外の他動的なショックによって混乱がもたらされやすい時です。どんなに自然な生き方をしていようと意に介さず、外部から厄介事が持ち込まれる時があります。応爻である上九との兼ね合いも熟慮しなくてはなりませんが、ここでは「時に物事は、多面的な観点から意味合いを理解することも必要になる」と体験的に気が付きます。それはほとんど強制的に思い知らされる形になりますが、冷静になれば、どの視点、どの立場における心情をも理解できなくもない、と思い至るでしょう。個人的な私情や因縁、一方的な事情や理由だけでは、この六三の状況の全体像は捉えきれません。何が正当正論かを結論付けるには、異なる角度・別の階層・他の環境にいる人達の価値観を認めた上で複眼的に見立てる必要があり、さらに動爻した同人九三の影響で、ある程度(何ヶ月か何年か)の時間の経過を待たなくてはならない場合もあります。実例としては、力を得ることで権力の転覆を狙う人、裏切りによって地位を奪い取ろうとする人、敵味方が入り混じっての乱戦模様(翻弄される人々)、誤解から生じた恨みや嫌疑、および長年の誤解に気が付いて動揺しつつも出直しを図る人、離反に対する複雑な思いを抱く人、など。それぞれの立ち位置での判断基準が交錯するという共通項があります。寛仁大度(どんな状況をも包容できるような度量)が求められている気がします。

◇九四

无妄の外卦乾は天道を意味し、心臓部である四爻ではその主意を外れないことが求められています(「貞にすべし、咎无し」)。ただ、この天の道理を字面通りに捉える必要はなく、その人にとっての至上目的とか理想、具体化したいアイデア、憧れる生き方などと考えても構わないと思います。そしてその実現に向けて各自が思い思いの方法で動き出します。時代の動向を探って流行にあやかったり、必要な情報をリサーチして要望に応えたり、形骸化したシステムをリセットして新しい視点で再構築してみたり。とにかく、この九四における要諦は“基軸となるもの(行動原理など)を失わないこと、もしくは明確に示すこと”だと思うので、それさえ堅持できれば、たとえ地味でも上手く状況に対処できるはずです。九四は不中不正で正応もなく我道を行く的な人生観の持ち主なので、信念・モットー・心構え・指針など、何か本人の生き様を決定付けるような柱を立てることが肝心です。モチベーションの要があることで自分を奮い立たせる勇気も湧いてくるし、仲間を鼓舞して士気を高めることもできます。自分の信じる道を進む際の確かな足場にもなる。心を開いて真摯に周りの声に耳を傾けてみましょう。もし胸にグッと来る発言や行動をしている人がいたら、素直に認めたり賞賛して、自分も「ああなりたい!」と願うといいと思います。逆に、九四が初九や六三などの模範になる場合もあるので、良い手本を示すことも大切です。

◇九五

外卦乾の中心に居て剛健の身。機転が利くため何か事が起きた時の決断が早い人です(変卦が噬[口盍])。ただし、早合点してしまう場合もあり、必ずしも素早い判断が正しいとは限らないので注意も必要です。爻辞は「无妄の疾なり。薬なくして喜びあり」で、まさに疾病に関する占例も指折り程度ですがあります。ただ、ここではもっと広い意味での「病的な問題」として考えたほうが応用が利きます。手持ちの例を幾つか挙げると、ウイルス性かと誤認して慌てふためいたが単なる高熱の風邪だった、婚姻前の妊娠中絶(銭天牛氏の著作より)、社会や人を嫌って引き篭っていたが先入観による恐怖や誤解が解けて人間らしさを取り戻す、旧体制で凝り固まった経営方針に一石を投じるも解雇される、せっかく取得した入学資格を家の都合で破棄、一度は出展要請を受諾するも後に臆病風に吹かれて参加を辞退、経営が苦しくなったために強引に傘下の合併吸収を指示、目的を遂げるために余計なことは黙っておく…などです。元々実力のある人で行動力もあるのですが、いかんせん何らかの問題(病)を抱えていて言動が屈折してしまう傾向があります。それは九五にとっては上手く状況をすり抜ける手立てでもあるのですが、周りの目からは理不尽と映ることもしばしば。上の立場の人間が職権濫用して意を押し通し、下の者が「上はズルイ」と納得がいかないまま振り回された例も。ただ、後に事情を知って情状酌量という場合もあります。その時の状況や流れに便乗できる上手さを備えている人です。

◇上九

上九は陽気の最上段で、もうこれ以上は昇れません。それに次の大畜の前触れもあり、道理と人為的な所作との間で葛藤が起きます。応爻の六三では異なる立場の事情が示され、奪われたと思う一方で、得た方でさえ素直に喜べない場合もあります。ただの漁夫の利ではないのです。この上九では、そうした環境での適切な判断力が求められているのですが、そのためには“こちら側とあちら側”を踏まえた全体像を俯瞰したり、周りの人々の目に映る自分の存在について考えなくてはならなかったりと、なかなか一筋縄ではいかずに悩みます。例えば、実の親と育ての親および生まれ故郷と新天地との間で揺れる人のように、理屈では判断できない複雑な胸の内を抱えている場合です。どちらにも思い入れはあり、単純な二者択一とはいきません。気持ちの整理をつけるためには、何が動揺の原因になっているかを調べて理解を深めるか、実際に自分の足で見聞して確かめてみると良いと思います。もしその後も変わらずに灯り続けている想いがあるならば、それが自分の本心と考えていいのではないでしょうか。自分自身の心の在り様とか今後の生き方の方向性が定まっていない間は、他人の不用意な発言に感情を逆撫でされがちですが、挑発や誘惑に乗る必要はないし、余計な詮索をする必要もありません。それは波乱を呼ぶだけです。今は、ただなすべきことに集中する、または己の本心に基づいて行動する他ないと思います。

 

※卦意は2009-09-02にUP。爻意は2011-6-10に追加更新。


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