*兌の意味


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・兌(沢)

全陽へと向かう手前の状態が兌です。正象は沢。
光が溢れ、ポカポカとした陽気に包まれていると次第に気持ちが楽になりますが、そんな感じの時です。

沢とは、水が寄り集まってできたもので、さらさらと流れる小川や渓流、生活用水路、憩いをもたらす池や噴水・オアシスなどが、その象徴です。
そこでは植物が繁茂し、動物達が集まり、鳥達が歌い、人々が楽しく語り合い、同じ時を気持ちよく共有しています。

学生時代、毎日のように交わした友達との他愛ないおしゃべりを思い出してみて下さい。
あるいは、休みの日のカフェで友人と一緒に楽しく食事をしながら喋っている情景を思い浮かべてみて下さい。
信じられないほどに、とめどなく何時間でも飽きずに話し続け、ふと気がつけばとっくに日は沈み、すっかり夜も更けてきている。

そのように恵みの時間は豊かで貴重なものですが、時間には限りがあります。
だからこそ、その喜びに胸を膨らませ、ときめきを感じるのだろうと思います。
もっとも、“楽しい時間”や“憩いの時”の感じ方、その種類は人それぞれ異なります。少し例を挙げてみましょう。

ある人には、休みの時間に本を読むことかもしれないし、友達とお喋りすることかもしれません。
ゲームに熱中することかもしれないし、食事やショッピングをしたりすることかもしれません。
メールやチャットを楽しんだり、テレビ電話をしたり、ネットサーフィンをすることかもしれません。
あるいは、一人静かな時間を作って、ゆったりと瞑想に耽ることかもしれません。

また、ある人には子供の寝顔を見ることかもしれないし、あるいは仕事後の一杯のビールかもしれません。
あるいは、夢中になれる趣味の時間かもしれないし、家族や恋人との会話の時間かもしれません。
人によって「それ」は異なりますが、私たちは今日という日に捧げる“楽しみ”を糧として、明日を生きる活力を得るのです。
(でも、楽しむにも時と場所をわきまえて。マナーや節度を忘れずに! それも兌の象意の一つです。卦で言えば天沢履に水沢節ですね。)

もし、そうした日々の中で、未来へと繋がる原動力とリンクすることの意義を知り、感覚を研ぎ澄ませることで、
周囲の人々や様々な出来事とのシンクロ率を高めていける自分に気が付けば、現状をより楽しく、恵み豊かなものにすることができます。

簡単に言えば、音叉のような共振・共鳴作用を利用して自分を高めていく、ということです。
今の自分よりも高い波動(意識)の持ち主や時空間に振動率を合わせることで、必然性の結露(偶然の一致)を何度も体験するようになります。
このシンクロニシティ現象を事あるごとに経験していくと、次に進むべき方向や展開が直感的に把握(予測)できるのです。

これは、例えば行運を追っていって序卦や干支の流れを認識する作業と似ていますし、占星術でトランジット(経過)やプログレス(進行)を読んでいるような状態に近いと思います。もっとも、この段階はまだ入り口でしかなく、この先に幾つもの“こなしてゆくべき課題”が待っています。

話を戻します。
兌の性質の一つは、生け花の水を新しく換えるようにターン・オーバー(新旧交代)していくことです。

たとえば人体の各部も、ターン・オーバーを繰り返しています。
肌や爪や毛髪やヒゲといった外面的に見える部分だけでなく、骨や歯、細胞、筋肉といった内部に関しても、新しくみずみずしいものが出てくれば、古くなったものは新に取って代わられる。そうすることによって身体機能を維持しているわけです。
どんどん新しくすることで旧を捨てる、あるいは旧を完全には老廃(腐敗)させない。

例えば、サメの歯は生涯で3万本近くも生え変わりが可能だそうです(数字が正確かどうか不明ですが、とにかく膨大)。
全ての歯の後ろに常に何本かの歯がストックされていて、欠けたり折れたりして使い物にならなくなれば、すぐさま次の歯が押し出されてくる。
また、原理としてはホッチキスの歯も拳銃の弾も、シャープペンシルの芯も陳列された商品も似たようなものです。
これらは一見、とても都合の良いものですが、ストックが少なくなれば新たに補充しなくてはなりません。

この次から次へと新しいものに目移りする性質は、今やっていることを目標まで達成させないという性質も持ち合わせています。そのため、やり残したもの(中途半端なもの)が、あちこちに散らばっていく傾向があり、なかなか実質的な“モノ”になりにくいのです。
これが、「3分の1の欠損」とか「7分目」などと言われる兌のネガティブな面です。

たとえば、兌は企画やアイデアを出すのが得意です。ポンポンと溢れるように発想が浮かんでくる時もあるでしょう。
言語能力が高いことも手伝って、口当たりの良いことを言ったり書いたりすることも上手く、お調子者の気もあるほどです。
生来の楽天家なため、落ち込んでいる自分や苦しんでいる自分は考えたくもありません。そのため、テンションは高めに設定されています。
まるで、ポジティブ思考の権化のような存在ですが、反動として、ネガティブなことに首を突っ込むのは苦手です。

兌の問題点は、どんなことも現実の恩恵をもたらすまでには地道に励む期間が必要だということを、ほとんど意識していないことです。
現実面での積み上げ的な労働が苦手なために、真の恵みを得る前に目新しいものに関心を注いでしまって頓挫しやすい。企画や計画段階では意欲満々でも、その後の長く苦労の多い(と思えてしまう)実務作業には関わりたくない性質なのです。

実りの収穫、夢の実現、願望成就、目標達成、仕事で結果を出すこと・・・など、そうした事柄の“成果”を具現化させるには、どうしても最後まで“やり切る”必要があります。
とにもかくにも貫徹しない限り、甘い果実を享受することはできないのです。

学力であれ仕事であれ、現在の自分の実力(レベル)を推し測ろうとする場合、中途半端な気持ちで取り組んだところで意味はありません。
そんなことを繰り返していると、全力を出さなくても(7分の力で)自分はここまでできるのだと、変な慢心を持ってしまうだけです。

もしあなたに、「他人に何と言われようが、これだけは譲れない」と言えるものがあるのならば、せめてそれ一つだけでも全身全霊で取り組み、何らかの成果を出してみましょう。完遂することが重要なのです。
この時、他人の評価がどうかなんて気にすることはありません。まず必要なのは、自分自身に達成感という喜びを与えることです。
“私には物事をやり遂げる力がある”ということを、自分自身に証明するのです。

目指す分野に関する本を読みかけにせず、どんなことに応用できるかを考えながら、必ず最後まで読み通しましょう。
何か作りかけのものがあるのならば、気になっている内に完成させるようにしましょう。
欠損を欠損のままにしている限り、目的とする実りを手にすることは叶わないのですから、とにかくやれるだけやってみるのです。
どんな形であれ、一先ず最後まで行くことができたら、またそこから新たな展望が開けてきますし、小さくとも一つの自信を手に入れています。

よく使われる言葉に「やればできる」というものがありますが、兌の場合、それでは心許ない気がします。
もっと語意を強めて、「やったらできた」としたほうが達成した時の喜びをイメージしやすいんじゃないかと思います。

結局のところ、“新し物好きで浮気がち”の性質は、良くも悪くも八方美人、広く浅くなりがちなことを認識しておいたほうが良いでしょう。
さらに、飽食のように必要以上に過剰摂取してしまう恐れもあります。これは貪欲な傾向を強め、心と体を蝕む原因です。

ちなみに、物事を革新するためには、新しい計画を推し進める前段階として、必要な水準をクリアしていなければなりません。
まずは土台を抑えておくことが大前提。その後、適切な時期を見計らって進み出すようにするわけです。

革新というものは、それまでのものに何か新しいものを織り込むということ。
異なる分野間での共通項を取り出して、既存の理論に別分野の知識を応用してみたり、伝統的技法や過去の遺産に、現在のテクノロジーを上手く結びつけたりする。

その上で、可能な限り最後まで貫徹する(やり残しを作らない)地道な努力を受け入れれば、ポジティブな発想と合いまって、非常に有意義な成果がもたらされることは間違いありません。

先天八卦の原理では、兌は“時の右折点”です。上弦の月、つまり旧暦8日前後の半月に当たります。
この時、月と太陽は90度の角度になるため、これまでのような直進はできなくなり、ハンドルを切ることを要求してきます。
易卦では風雷益と天沢履となり、損益または理論と実践の二局面を渡ってゆくことになります。
頭だけ、口先だけでなく、それを実際の現物として、あるいは行動として示せるかどうかが問われます。

人物としては、今見てきたように「少女」や「若者」あるいは「気持ちの若々しい人」、「楽しみの中にある人」、「楽天的な人」、ネガティブな面では、「八方美人」、「浮気性な人」、「口先だけの人」、「やりっ放しにしてしまう人」などを象徴することになります。

占星術的な観点からすると、兌は金星の象意に類似しています。エニアグラムで想定するならばType7。
そういえば、金星は思春期の年齢域ですが、その時期の反抗期や声変わりも、ある意味で兌の象徴なのかもしれません。


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